福岡高等裁判所 平成3年(ネ)345号 判決 1996年9月27日
<目次>
主文
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
第二 事案の概要
第三 本件訴訟の経過
第四 主要な争点に関する双方の主張
一 被控訴人ら
1 要件①、②について
2 要件③について
3 被控訴人らの個別の事情について―別紙一のとおり
4 被控訴人らのその余の主張
二 控訴人ら
1 要件①、②について
2 要件③について
3 被控訴人らの個別の事情について―別紙二のとおり
第五 当裁判所の判断
一 要件①、②の充足性について
二 要件③の証明責任等
三 要件③の充足性に関する諸事情
1 水俣病に関する医学上の判断について
2 熊本県における水俣病認定申請から処分に至るまでの手続の概要
3 当時の全体の認定申請件数及び処分件数、検診医数等
4 当時の検診、審査態勢を巡る事情その一―健康調査の実施等
5 当時の検診、審査態勢を巡る事情その二―検診、審査の遅延と医師確保の困難性
6 当時の検診、審査態勢を巡る事情その三―集中検診とこれに対する反発
7 当時の検診、審査態勢を巡る事情その四―不作為判決後
8 当時の検診、審査態勢を巡る事情その五―その他の主な施策
四 要件③の充足性に関する全体的判断
1 概括的判断
2 被控訴人らの主張に対する判断
(一) 水俣病概念について
(二) 検診医の大量動員、審査件数の増加措置
(三) 答申保留の措置について
(四) 認定業務改善のためのその他の努力について
3 総合的判断
五 要件③の充足性に関する個別的判断
1 被控訴人らについての認定事務処理の経緯
2 要件③の充足性についての個別的判断(一)〜(二四)
第六 結論
別紙 当事者目録
第一審判決添附請求金額一覧表
別紙一 「被控訴人らの個別事情についての被控訴人らの主張」
別紙二 「被控訴人らの個別事情についての控訴人らの主張」
別添(一) 「後天性水俣病の判断条件について」
別添(二) 「小児水俣病の判断条件について(通知)」
別添(三) 「水俣病認定申請及び処分状況表」
別添(四) 「熊本県における月別認定申請件数等」
別添(五) 「検診医数等実績表」
控訴人
国
右代表者法務大臣
長尾立子
控訴人
熊本県
右代表者知事
福島譲二
右両名指定代理人
富田善範
外八名
右国指定代理人
大林重信
外六名
右熊本県指定代理人
望月達史
外一五名
被控訴人
仲村妙子
外四六名
右四七名訴訟代理人弁護士
建部明
山口紀洋
主文
一 第一審判決中、控訴人ら敗訴の部分を取り消す。
二 被控訴人ら(訴訟承継人らを含む)の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二、三審及び差戻審とも被控訴人ら(訴訟承継人らを含む。)の負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 主文第一、二項同旨
2 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
3 (当審で請求の趣旨を減縮した被控訴人らの訴訟承継人について)敗訴の場合の、担保を条件とする仮執行免脱宣言
二 被控訴人ら及びその訴訟承継人ら
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
3 訴訟承継に伴う請求の趣旨の訂正
(一) (被控訴人長濱實義関係)
控訴人らは各自、被控訴人長濱實義訴訟承継人長濱〓に対し金一五万一二五〇円、同柏木ツヤ子、同長濱謙太郎、同長濱一實に対しそれぞれ金五万〇四一六円及びこれらに対する昭和五七年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) (被控訴人坂本吉髙関係)
控訴人らは各自、被控訴人坂本吉髙訴訟承継人坂本ツギエに対し金一四万〇二五〇円、同坂本秀幸、同上田裕子に対しそれぞれ金七万〇一二五円及びこれらに対する昭和五七年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(三) (被控訴人川﨑巳代次関係)
控訴人らは各自、被控訴人川﨑巳代次訴訟承継人川﨑ミチヨ、同岩本キク、同川﨑數江、同川﨑長生、同野々山美子、同足立タマヲ、同東智枝、同志垣益美、同加藤節代に対し、それぞれ金四万四六一一円及びこれらに対する昭和五七年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(四) (被控訴人田上始関係)
控訴人らは各自、被控訴人田上始訴訟承継人田上さちに対し金一六万二二五〇円、同佐々木悦子、同田上司、同長谷川順子、同田上俊二、同田上利治に対しそれぞれ金三万二四五〇円及びこれらに対する昭和五七年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(五) (被控訴人白倉幸男関係)
控訴人らは各自、被控訴人白倉幸男訴訟承継人川口綾乃、同白倉孝行、同黒田敦子、同白倉忍、同白倉譲治、同今出三十栄に対しそれぞれ金六万二七九一円及びこれらに対する昭和五七年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 本件は、被控訴人ら二四名が、水俣病にり患したとして、昭和四七年一二月から昭和五二年五月にかけて、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(昭和四四年法律第九〇号。以下「救済法」という。)三条一項又は公害健康被害補償法(昭和四八年法律第一一一号。昭和六二年法律第九七号による改正前のもの。現在の名称は「公害健康被害の補償等に関する法律」である。以下「補償法」という。)四条二項に基づいて、水俣病患者として認定すべきである旨の認定申請をしたところ、処分庁である熊本県知事(以下「知事」という。)が長期間にわたり、その応答処分(認定又は棄却の処分。以下単に「処分」ともいう。)をしなかったため、知事の水俣病認定業務の遅延により精神的苦痛を被ったとして、右認定業務を知事に委任した国及びその費用負担者である熊本県に対して、国家賠償法一条一項、三条により慰藉料及び弁護士費用を請求した事案である(水俣病認定業務の概要については、後記上告審判決(その理由二1(一)、(二))に判示されているが、本判決も「第五当裁判所の判断」の三1、2に判示する。)。
二 前提となる事実等
1 被控訴人らは、第一審判決添付請求金額一覧表(これを、便宜、本判決の別紙当事者目録の次に添付する。)の申請年月日欄記載の各年月日(ただし、被控訴人野崎幸満の申請年月日は昭和四八年六月一一日である。)に、知事に対して、救済法三条一項又は補償法四条二項に基づき、水俣病と認定すべき旨の申請をした(この事実は争いがない。)。
2 知事は、被控訴人仲村妙子に対し昭和五四年五月二六日、同長濱實義に対し同年八月一日、同坂本吉髙に対し同年四月二七日、同岩内次助に対し昭和五五年五月二日、同野崎幸満に対し、昭和五七年九月二日にそれぞれ認定の各処分をし、同松﨑重光に対し昭和五四年二月二二日、同柳野正則に対し同年八月一日、同久木田松太郎に対し昭和五五年一月二五日、同福山ツルエ、同福山貞行に対し同年六月四日、同田上始に対し同年九月五日、同川野留一に対し昭和五四年二月一日、同坂本輝喜に対し同年八月一日、同川本ミヤ子に対し昭和五五年一月二五日、同楠本直に対し同年九月五日にそれぞれ棄却の各処分をした。
知事は、その余の被控訴人らに対しては、第一審口頭弁論終結時である昭和五七年九月二九日に至るまで応答処分をしないままであった(この事実は争いがない。)。
3 応答処分を受けた被控訴人らは各申請の日の翌月から処分の日の前月までの、応答処分を受けていない被控訴人らは各申請の日の翌月から第一審の口頭弁論終結の日の前月までの、各慰藉料及び弁護士費用を請求している(被控訴人らが主張するそれぞれの処分遅延の月数は、前記請求金額一覧表の「遅延延べ月数」欄に記載のとおりであるが、差戻し後の当審においては、知事が処分可能であった時期を後記「被控訴人らの個別事情についての被控訴人らの主張」(別紙一)に記載のとおり主張し、その翌月以降が処分遅延期間であるとしている。また、被控訴人らの請求金額は、同表の「請求金額」欄に記載のとおりであるが、前記第一、二、3に掲記の被控訴人らの訴訟承継人らは、同項記載のとおりに請求を減縮した。)。
4 なお、前記請求金額一覧表表示原告番号1、2、4ないし10、12ないし15の各原告ら(以下「不作為判決原告ら」ともいう。)は、熊本地方裁判所に対し、右原告らが救済法に基づき行った水俣病認定申請につき、知事が何らの処分をしないのは違法であるとの不作為の違法確認を求める訴え(行政事件訴訟法三条五項)を提起した(同裁判所昭和四九年(行ウ)第六号、同五〇年(行ウ)第六号)ところ、同裁判所は、昭和五一年一二月一五日、知事の右不作為は違法である旨の判決(以下「不作為判決」という。)をし、同判決は同月三〇日に確定した(この事実は争いがない。)。
5 以上の事実を前提として、当事者双方は次のような概要の主張をした(差戻し後の当審での主張の変更については後述する。)。
(一) 被控訴人ら(第一審原告ら)
(1) 不作為判決の既判力からすれば、被控訴人らが一定期間認定又は棄却の処分もされず、あるいは現在に至るも処分されないでいることは、知事の故意又は過失による違法行為というべきである。仮に、不作為判決の既判力が不作為判決原告ら以外の被控訴人らに及ばないとしても、知事がこれら被控訴人らの認定申請に対し何らの処分をしないという不作為の状態は、不作為判決原告らにおけると同様であるから、右被控訴人らに対する故意又は過失による違法行為というべきである。
(2) 知事の行う水俣病認定業務は国の機関委任事務であるから、控訴人国は国家賠償法三条の「選任若しくは監督」に当たる者として、控訴人熊本県は同条の費用負担者として、それぞれ被控訴人らの被った損害を賠償する義務がある。
(3) 被控訴人らは、知事の水俣病認定業務の遅延により、水俣病認定申請者という不安定な地位に置かれ続け、水俣病に対する適切かつ十分な治療も受けられず、認定者との社会的経済的差別を受け、果ては故なき迫害すら受けており、日々不安と焦燥感のなかに悲惨な生活を強いられている。
(4) なお、認定処分を受けた被控訴人らの一部は、予備的に、知事の認定処分の違法な遅延により、チッソとの補償協定の適用による終身特別調整手当の支払を一定期間受けられず、右期間中に支払を受け得べきであった手当金相当の損害を被ったと主張した。
(二) 控訴人ら(第一審被告ら)
(1) 行政事件訴訟法三条五項にいう違法は、国家賠償法一条一項にいう違法とは異なるものであり、不作為判決の効力は本訴にまで及ぶものではない。仮に、不作為判決の既判力が本訴に及ぶとしても、それは不作為判決原告らについてのみである。また、控訴人熊本県は、知事が国の機関委任事務として実施する水俣病認定業務につき費用負担者にすぎないから、不作為判決の既判力を受けるいわれはない。
(2) 被控訴人らの認定申請に対する知事の認定業務の実施については、国家賠償法一条一項にいう違法はなく、仮に違法があると評価されるとしても故意、過失はなく、また、右認定業務遅延という結果を回避すべき可能性はないから、控訴人らには責任がない。
(3) 仮に、被控訴人らに知事の処分遅延による精神的苦痛があったとしても、それは社会生活上受忍すべき限度内のものであって、金銭をもって賠償すべきものではない。
(4) なお、控訴人らは、差戻し前の当審において、仮に本件損害賠償責任が認められるとしても、被控訴人らが水俣病認定申請をしたことにより、控訴人熊本県から治療研究事業に係る医療費等の給付を受けているから、これを右損害額と損益相殺されるべきであり、また、被控訴人らのうちの一部の者は、検診を受けないか又は検診拒否をしたという事情があり、右の事情は右被控訴人らの損害の発生又は拡大の原因となった過失であるというべきであるから、右各事情を右各被控訴人らの損害賠償額の算定上、過失相殺すべきであるとの主張を追加した。
第三 本件訴訟の経過
一 第一審は、不作為判決の効力は水俣病認定業務の管理主体である国及び熊本県に及び、かつ、国家賠償法一条一項の違法と行政事件訴訟三条五項の違法とを別異に解すべき理由はないから、不作為判決原告らとの関係では、不作為判決の既判力に拘束され、しかもその既判力は基準時(不作為の違法確認訴訟の口頭弁論終結時すなわち昭和五一年七月二一日)以降の不作為状態にも及ぶとし、さらに不作為判決を得ていない被控訴人らとの関係でも、不作為判決原告らとの均衡上、知事の不作為を違法であると認めるのが相当であるとした。そして、申請時からほぼ二年を経過した時点以降は違法状態であると判断し、各被控訴人らにつき一か月二万円の割合での慰藉料請求及び弁護士費用請求を認容した。これに対し、第一審被告の国及び熊本県が控訴した。
二 第二審(差戻し前の当審)は、不作為判決は、不作為判決原告らにつき、同事件の口頭弁論終結時における知事の不作為が違法であることにつき既判力を有するが、右以外の時点における知事の不作為について既判力を有するものではないとして、不作為判決原告らを含む被控訴人らの主張する期間における知事の不作為が不法行為に該当するか否かについて検討するとした上、認定業務における検診、審査の態勢が後に改善されていることからすると、それ以前の時期においても検診、審査の回数や処理件数を増やすなどの態勢をとることが可能であったし、審査会の構成や審査・答申の方法等についても種々改善の余地があると判示して、被控訴人らについてそのように改善された検診、審査の態勢をとっていたとすれば、より短い一定期間内に、知事が審査会の答申を受けた上、応答処分をすることができたし、そうすべきであったとの判断を示し、知事が右の一定期間を超えて応答処分をしなかったのは違法であるとした。そして、知事の応答処分が可能となる右の一定期間を被控訴人らごとに算出し、これを申請後六か月ないし二年四か月の期間と定めて、それを超える期間については知事が過失により違法に応答処分を遅延させたとして、一人当たり月額五〇〇〇円の割合による慰藉料請求及び弁護士費用請求を認容した(ただし、検診を受けないか、医師の受診を拒否した被控訴人らについては五割の過失相殺をした。)。これに対し、控訴人らが上告した。
三 上告審は、大要次のとおり判示して、第二審判決中の上告人ら(控訴人ら)敗訴の部分を破棄し、同部分を当審に差し戻した。
1〔水俣病認定申請者が処分遅延により被る精神的苦痛と不法行為〕
本件の認定申請者は、難病といわれ特殊の病像を持つ水俣病にかかっている疑いのままの不安定な地位から、一刻も早く解放されたいという切実な願望からその処分を待つものであろうから、それだけに処分庁の長期の処分遅延により抱くであろう不安、焦燥の気持は、いわば内心の静穏な感情を害するものであって、その程度は決して小さいものではなく、かつ、それは他の行政認定申請における申請者の地位にある者にはみられないような異種独特の深刻なものであると推認することができる。このような認定申請者としての、早期の処分により水俣病にかかっている疑いのままの不安定な地位から早期に解放されたいという期待、その期待の背後にある申請者の焦燥、不安の気持を抱かされないという利益は、人としての内心の静穏な感情を害されない利益として、不法行為法上の保護の対象になり得る。
2〔水俣病認定申請を受けた処分庁の作為義務―不作為判決との関係を含む〕
水俣病認定申請に対する処分庁の不処分ないし処分遅延という状態の不作為が申請者に対する不法行為として成立するためには、処分庁に作為義務があることが必要であり、かつ、その作為義務の類型、内容との関連において、その不作為が内心の静穏な感情に対する介入として、社会的に許容し得る態様、程度を超え、全体としてそれが法的利益を侵害した違法なものと評価される場合であることが必要である。
救済法及び補償法の下で、申請者から認定申請を受けた知事は、それに対する処分を迅速、適正にすべき行政手続上の作為義務があるが、知事の負っている右作為義務は、申請者の地位にある者の内心の静穏な感情を害されないという私的利益の保護に直接向けられたものではないし、救済法及び補償法からは、認定申請に対する処分の遅延そのものに対する申請者の内心の不安感、焦燥感等に対して、これに特別の配慮を加え、その利益のために一定期間内に処分すべき旨を定めた法意を見出すことはできないから、救済法及び補償法の中に、認定申請者の右のような私的利益に直接向けられた作為義務の根拠を見出すことはできない。
なお、不作為判決原告らと知事との間には、確定した不作為判決があるが、不作為の違法確認訴訟の性質からすれば、その違法であることの確認の趣旨は、右訴訟の口頭弁論終結時点において、知事が処分をすべき行政手続上の作為義務に違反していることを確認することにあるから、不作為判決があるからといって、これが直ちに認定申請者の右の法的利益に向けた作為義務を認定し、その利益侵害という意味での不作為の違法性を確認するものではない。
しかし、一般に処分庁が認定申請を相当期間内に処分すべきは当然であり、これにつき不当に長期間にわたって処分がされない場合には、早期の処分を期待していた申請者が不安感、焦燥感を抱かされ内心の静穏な感情を害されるに至るであろうことは容易に予測できることであるから、処分庁には、こうした結果を回避すべき条理上の作為義務がある。
3〔処分庁が条理上の作為義務に違反したといえるための要件〕
処分庁が右の意味における作為義務に違反したといえるためには、客観的に処分庁がその処分のために手続上必要と考えられる期間内に処分できなかったことだけでは足りず、その期間に比して更に長期間にわたり遅延が続き、かつ、その間、処分庁として通常期待される努力によって遅延を解消できたのに、これを回避するための努力を尽くさなかったことが必要である。
4〔第二審の判断の不合理性〕
本件認定申請については、その申請時から処分時まで、あるいは未処分のまま第一審の口頭弁論終結時に至るまで長期間経過したものがあり、中には最高九年余の期間を経過したものもあるというのであるから、その時間的経過だけでみる限り、知事が右作為義務に違反しているかのように考えられないわけではない。しかし、知事が前記の意味における作為義務に違反したといえるかどうかについての第二審の判断は、本件各認定申請の処理のための検診、審査の態勢及び運用方法について、それが実現可能とする前提事実を認定しその具体的根拠を示すことがなく、ただ、後の時点での処理実績を唯一の根拠として、その前の時点での処理可能時期をいわば算術的に試算し推認したものとみるほかないから、合理性がない。
5〔処分可能時期の判断の前提となる具体的諸事情〕
本件認定申請に対して知事が処分をするためには、個々の認定申請者について水俣病患者であるか否かの判定が不可欠であるから、各認定申請者の疾病のそれぞれの症状に応じて、医学専門家の検診や面接調査を経て審査会に付議をしその答申を受けるという一連の認定事務処理手続が前提になっていたのであり、各認定申請に対する処分のためにどの程度の時間が必要かを判断するには、その前提として、当時の全体の認定申請件数、これを検診及び審査する機関等の能力、その内容な運営方法、申請者の協力等の具体的諸事情を認定して、これを総合的に判断し検討する必要がある。また、水俣病り患の有無の判定が必ずしも容易でないことを考えれば、一回の審査会では答申されず、数回にわたり答申保留となり、検診や面接手続を繰り返すという検診、審査の運用は、判定の正確性を期すための方策であり、直ちに不適当と断ずることは困難である。
なお、審査会における審査が検診によって得られた資料に基づいて水俣病にかかっているかどうかを判定するものである以上、受診拒否等によって判断資料を得ることができない申請者については、審査会は審査をすることができず、したがって、処分庁も処分をすることができないのは当然である(このことは、受診を拒否した者に処分遅延の責任の一半があるというに止まるものではない。)から、少なくとも、受診拒否等をした者については、その時点以前において受けた検診によって得られた資料によって判定ないし処分をすることが可能であったかどうかを確定しなければ、処分可能時期の判断はできない。
6 以上のとおり、被上告人ら(第一審原告ら)の本件認定申請に対する処分のためにどの程度の期間が必要であったかは、当時の全体の認定申請件数、これを検診及び審査する機関の能力、検診及び審査の方法、申請者側の協力関係等の諸事情を具体的個別的に検討して判断すべきところ、第二審においてこれらの諸事情の存否が確定されていないから、被上告人ら(不作為判決原告らをも含む。)の各申請に対してどの程度の期間があれば処分が可能であったのかは明らかでなく、右の点につき認定判断することなく、不法行為の成立を認めた差戻し前の第二審の認定及び判断には、違法がある。
四 当審は、右の上告審判決を受けた差戻し審であるから、上告審が破棄の理由とした判断に拘束されることとなる。
ところで、被控訴人らは、第一審及び差戻し前の第二審を通じて、主位的請求についての精神的苦痛(被侵害利益)の態様として前記第二、二、5(一)(3)のとおり主張していたが、差戻し後の当審においては、右の上告審判決の判旨に即して、「知事の水俣病認定業務の遅延により、被控訴人らが水俣病認定申請者という不安、焦燥の気持を抱かされ、内心の静穏な感情を害された。」ものと主張を改め、右以外の精神的な苦痛や損害はすべて事情としてのみ主張する旨を明らかにした(これに伴い、認定処分を受けた一部の被控訴人らが主張していた予備的請求原因(前記第二、二、5(一)(4))も撤回され、また、控訴人らが予備的に主張していた損益相殺の主張(前記第二、二、5(二)(4)の前段)も撤回された。)。
したがって、当審における本件の主要な争点は、知事が、本件上告審判決のいう処分庁が条理上の作為義務に違反したといえるための要件である、①客観的に処分庁がその処分のために手続上必要と考えられる期間内に処分できなかったこと(以下「要件①」という。)、②その期間に比して更に長期間にわたり遅延が続いたこと(以下「要件②」という。)、③その間、処分庁として通常期待される努力によって遅延を解消できたのに、これを回避するための努力を尽くさなかったこと(以下「要件③」という。)、の三要件を充足しているといえるか、である。
第四 主要な争点に関する双方の主張
一 被控訴人ら
1 要件①、②について
本件上告審判決は、救済法、補償法の作為義務(行政手続上の作為義務)を当然の前提として、被控訴人らの内心の静穏な感情を害されない利益に対応した条理上の作為義務を措定したものであり、両者の二元的な作為義務はこのような相関関係の下で理解されるべきものであるから、要件①、②にいう「手続上必要と考えられる期間」とは、行政手続において行政庁が処分するに必要ないわゆる「相当期間」と理解すべきであり、要件②にいう「更に長期間にわたる遅延」は、本件上告審判決のいうように被控訴人らの利益が異種独特の深刻かつ重大なものであることからして、最大限短くとらえるべきである。
そして、本件上告審判決が、「被上告人らの認定申請については、その申請時から処分時まで、あるいは未処分のまま第一審の口頭弁論終結時に至るまで長期間経過したものがあり、申請の中には最高九年余の期間を経過したものもあるというのであるから、その時間的経過だけでみる限り、知事が右作為義務に違反しているかのように考えられないわけではない。」とし、被控訴人らのうち、不作為判決を得ている者について、「少なくとも昭和五一年七月二一日の時点において、知事が応答処分をすべき手続上の義務に違反している状態を確認した確定判決があるのであるから、このことから、右の認定申請に対しては、処分可能時期が経過した後も知事が処分をしていなかったものと推認できないわけではない。」としていることからすると、本件上告審判決も、被控訴人らについて、右の要件①、②を充足しているとしたものである。
2 要件③について
(一) 証明責任等
(1) 要件③は、これについて被控訴人らに証明責任があるとすれば、「尽くさなかった」という消極的事実の証明になるが、消極的事実はこれを争う側にその事実の存在の証明責任を負わせるのが公平であること、また「努力を尽くした」か否かの判断の前提事実はそのほとんどが行政側の事情であり、これらの事実の立証に必要な証拠も行政側が大半を握っているのであり、当該事実の立証に必要な証拠に近い当事者がその事実の証明責任を負うのが公平であることからすると、要件③は、控訴人らに「努力を尽くした」事実に関する証明責任を負わせるのが相当であるから、控訴人らが右事実を証明すべきである。
(2) 要件③にいう「通常期待される努力」をしたかどうかは、具体的には検診、審査の態勢と運用方法の改善の可能性を考慮した上で、知事に処分可能性があったかどうかの問題に帰着するが、被控訴人らの利益(内心の静穏な感情を害されない利益)の重大性に照らすと、この処分可能性も規範的に制約されているもので、単なる事実上の可能性ではない。
(二) 知事が処分庁として努力を尽くしたといえるか
知事は、次のとおり通常期待される努力をすれば遅延を解消できたのに、これを回避するための努力を尽くさなかった。
なお、審査会は、救済法及び補償法の趣旨にのっとり、公害被害者の迅速かつ幅広い救済のために公正に運営されるべき諮問機関であり、知事は審査会の意見を受けて処分を決するのであるから、水俣病認定制度において基準とされる水俣病概念は極めて法的な概念であり、医学概念ではない。審査会では、できる限り一回の手続でかつ被害者群を漏らすことのない判断、鑑別を行うことが要求されているのであり、審査会の審査、知事の認定制度の運用も、これに沿って行われるべきであって、控訴人らのように、これを医学上の診断であるとか、水俣病問題は高度の専門的医学的問題であるとするのは誤りである(ただし、被控訴人らは、本訴においては、国が定めた水俣病認定の判断基準の当否そのものは、不法行為を構成する事実として主張するわけではない。)。
(1) 検診、審査業務をスムーズに行うための努力
ア 前記のとおり、救済法、補償法は迅速、広範な認定を要求しており、認定は、医学とは異なる法的目的によって導かれるべきものであるから、審査会は、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について(通知)」(昭和四六年環企保第七号環境庁事務次官通知。以下「四六年次官通知」という。)あるいは「後天性水俣病の判断条件について」(昭和五二年環保業第二六二号環境庁企画調整局環境保健部長通知。以下「五二年判断条件」という。)の適合の有無のみを審査すべきであり、検診は、原則として四六年次官通知あるいは五二年判断条件の指摘する事項のみを検診すれば足りる。したがって、検診は、各科の通常の診察レベルを有する医師であれば何人でもできるのであるから、検診医の確保も特別困難ではなく、検診自体に特別の時間がかかるわけでもない。検診医の不足は全く無く、行政が医師を大量に動員し、単に申請者を検診日に適宜割り振りさえすればスムーズに検診が実施でき、認定業務の遅滞は起こらなかったのである。
イ 控訴人らは、昭和五二年一〇月から月一五〇人検診態勢を整備したが、このような態勢をとることは、昭和四八年初頭においても可能であったものであり、また、審査については、昭和五二年一一月から一か月に一回開催し各回一二〇件ないし一三〇件を処理する態勢をとったのであるから、少なくとも昭和四八年当時において、審査会を一か月に一回開催し、各回八〇件を審査するという態勢をとること、昭和四九年一一月からは、審査会を一か月に一回開催し、各回一二〇件を審査するという態勢をとることが可能であったのに、知事はこれらの態勢をとらないままであった。
(2) 審査会の答申保留を回避するための努力
救済法、補償法の予定する審査会は、医学的判断の意見を答申するために設けられたものではなく、迅速広範な認定に関する意見を答申するために設けられたものであるから、そもそも答申保留など認められない。審査会は、各申請者の検診資料を読み、四六年次官通知あるいは五二年判断条件の症状があるか否かを確認して、疑問があれば検診医を呼んで確認すれば済むのである。
しかるに、答申保留の実態は、次回審査までの単なる待ち時間として放置されているだけであり、審査会は、知事の迅速な処分を可能ならしめる迅速な答申をすべき義務を放棄していた。したがって、知事は、審査会に対し、救済法及び補償法に従った適切な答申をなすよう勧告指導すべきであった。
(3) 認定業務改善のためのその他の努力
控訴人らが次のように認定業務を改善していれば、検診及び審査の負担を軽減でき、これに要する時間を短縮できたから、被控訴人らに対する応答処分は早期に可能であった。
なお、控訴人らは、審査会が独立行政機関であることを理由に、その具体的運営が審査会の裁量にゆだねられていると主張するが、審査会は知事の諮問に対して迅速に答申すべき義務があるのであり、その現実の運用が知事による認定申請者の迅速な認定救済のために障害となっているのであれば、知事は、具体的な答申の方法に関し、諮問の段階で注文を付けるべきであるし、そうすることは何ら審査会の独立性を侵すものではない。知事に、審査会の運営に対する監督指導権限があることは、国が知事に対し四六年次官通知等により審査会の運営の適正化を求めていることや、知事が審査会の設置・運営につき条例を制定する権限を有することから、明らかである。
ア 診断書の重視
救済法及び補償法は、審査会による審査は、診断書に対する審査を原則とし、検診を例外としているのであるから、原則にのっとり、認定申請書に添付された診断書や、かかりつけの主治医の診断書、カルテ等を活用すれば、検診及び審査の負担は軽減されていた。
イ 疫学条件の重視
同一の汚染魚介類を同期間摂取したならば同一疾患にり患する蓋然性が高いという疫学条件があるのであるから、これを重視して検診、審査をすれば、疫学条件の整っている申請者については、明らかに他疾患からきていると判断される場合以外は、水銀汚染が原因であると判断することができた。
ウ 検診医療機関の拡大
救済法及び補償法は、検診機関を認定主体が設置するものに限定しておらず、それ以外の医療機関における検査も許容しているから、事前に審査会の意見を聞いて、診断書に記載すべき検査項目、検査法等を定めて民間の専門医に通知するなどしてこれを教育し、積極的に民間医療機関による医学的資料の提出を求めていれば、審査会における検診の負担を軽減することができた。
エ 検査項目の適正化
審査会の審査の内容は、四六年次官通知あるいは五二年判断条件の基準に対する申請者の症状のあてはめであるから、検診は、知覚障害、運動失調、平衡機能障害、視野狭窄、難聴の各症状が申請者にあるかないか、その程度、範囲及びその症候が有機水銀以外に起因しているといえるか否かだけを診断すれば足りるのであり、神経内科あるいは精神神経科、眼科、耳鼻科の検査と通常の診察方法で足りる。知事の実施した検査は過剰検査であり、これを改めていれば早期の審査、早期の処分が可能であった。
オ 審査会構成員の改善
補償法では、審査会の委員は、「医学、法律学その他公害に係る健康被害の補償に関し学識経験を有する者」と定めている(同法四四条二項)のであり、認定処分が法的判断である以上、審査会の答申も法的判断を前提とし、それに資する意見をまとめるべきであるから、法律家や公衆衛生の見地を持った者を審査会に加えるべきであったし、知事がこのように審査会の委員の構成を整えておけば迅速適正な答申がなされたはずである。
カ 審査会の議決方法の改善
熊本県公害被害者認定審査会条例及び熊本県公害健康被害者認定審査会条例には、「審査会の議事は、出席委員の過半数で決し、可否同数のときは会長の決するところによる」と定められているのに、審査会においては、委員全員の意見が一致しない限り答申保留とする違法な運用をしていた。知事は、この運用を知っていたのであるから、審査会に対し適正な処置を講ずべきであった。
キ 知事独自の判断の必要性
前記のとおり、審査会は答申保留という違法な運用(仮に答申保留の措置を是認するとしても、法は公害に係る健康被害の迅速な救済を求めているのであるから、右の法の趣旨に照らし、その繰り返しは決して許されるものではなく、やむを得ない必要悪として最小限にとどめるべきで、特別の事情のない限り、二回以上の答申保留は許されない。また、知事は、不作為判決確定後は、不作為判決原告らに対し速やかに処分をすべき同判決の拘束力を受けるから(行政事件訴訟法三三条、三八条)、特別の事情のない限り、同原告らに対する以後の答申保留ないし不処分は許されない。)をし、被害実態を無視ないし軽視する運営をしていたのであるから、前記のような権限のある知事は、審査会を指導するのはもとより、審査会に何らかの答申(「わからない」との答申や併記答申など)をさせ、独自の権限で認定処分をすべきであった。
いうまでもなく、認定申請者に対する処分の最終決定権限者は知事であり、審査会はその判断を的確ならしめる意見を答申する専門機関であるから、知事は審査会の意見を尊重しつつも行政独自の責任において判断を下すべきものであり、審査会の意見が合理性を欠いている場合には、知事には、法の精神に立ち帰り認定処分を下すべきことが積極的に要求されている。
3 被控訴人らの個別の事情について
別紙一「被控訴人らの個別事情についての被控訴人らの主張」のとおりである。
4 被控訴人らのその余の主張
被控訴人らのその余の主張(控訴人らの後記主張に対する反論を含む。)は、第一審判決五四枚目表三行目冒頭から同八六枚目裏七行目末尾までのとおりであるから、これを引用する(ただし、第一審判決五四枚目裏四行目の「二六年以上」、同裏四ないし五行目の「二六年を経て」、同六〇枚目表一二行目の「一三年を経た」及び同七八枚目表三ないし四行目の「二六年にわたり」などの経過年数は、本訴の第一審の口頭弁論終結日(被控訴人らが本件の処分遅延の最終日と主張する日)を基準とするものである。また、同五四枚目裏七行目の「行政に対し」から一〇行目の「見通しもない。」までと同八五枚目表一一行目冒頭から同裏五行目末尾までをいずれも削除する。)。
二 控訴人ら
1 要件①、②について
本件上告審判決は、一般的な意味で処分庁が処分をすべき行政手続上の作為義務に違反しても、直ちに認定申請者の法的利益を侵害したとして違法となるものではないとした上で、これとは別個に、水俣病の認定申請について、早期の処分を期待していた申請者が不安感、焦燥感を抱かされ、内心の静穏な感情を害されることとの関係で、処分庁にはこうした結果を回避すべき条理上の作為義務があるとして、要件①ないし③を挙げたものである。右の各要件は、そのような被侵害利益を考慮した結果、通常の処分の遅延では違法とならないものでも、そのすべてが充足されることにより違法となり得る場合があるとしたものであるから、要件①、②は字義どおり検討されるべきである。
2 要件③について
(一) 証明責任等
要件①ないし③のすべてが充足されることにより、知事が条理上の作為義務に違反したといえるのであるから、要件③についても被控訴人らに証明責任がある。なお、要件③についても字義どおり検討されるべきであることは、1のとおりである。
(二) 知事が処分庁として努力を尽くしたといえるか
救済法及び補償法の水俣病認定に関する処分については、水俣病にり患しているとする者からの申請に基づき、審査会の意見を聴いて、認定申請者の疾病は水俣病であるか否かを判断して、認定又は棄却の処分を行うこととなるから、認定申請者が水俣病にり患していることが水俣病認定に関する処分の実体的要件となるが、法が採用した水俣病という用語は、救済法施行令当時において医学上の病名として使用されていたものをそのまま採用したものであり、医学的事項である水俣病像と一致するものである。したがって、救済法及び補償法が審査会を設置した趣旨は、審査会において専権的に右実体的要件の充足の有無、すなわち水俣病像の把握と認定申請者の疾病が水俣病であるか否かについての医学的な判断をさせることとしたものと解すべきである。このように、水俣病認定に関する処分における水俣病り患の有無の判断は、水俣病像に関する医学上の知見に依拠して行わざるをえないが、水俣病の発生機序については、いまだその全容が解明されているとはいえず、水俣病像について絶対的に確立した医学上の知見があるとはいえない状況にあるから、水俣病認定に関する処分の実体的要件である水俣病像は、医学界において正当として支配的に認められた見解によるべきこととなる。
そして、認定申請者が水俣病にり患しているか否かの判断については、高度の医学上の専門技術的判断が必要とされるし、その判断も極めて困難な場合があるため、水俣病に関する高度の学識と豊富な経験を有する医師である審査会委員の総合的な判断にゆだねざるをえず、申請者各人の個別的な症候に応じた審査期間を必要とすることは避けられない。
控訴人らは、検診、審査態勢の拡充、充実のため可能な限りの努力を払ってきたが、当時の具体的状況の下では、それ以外の施策をとることは困難であったから、知事は処分庁として処分の遅延を回避するための通常期待されるべき努力を尽くしたというべきである。この点に関する控訴人らの主張の詳細は、次のとおり付加するほか、第一審判決九枚目表七行目冒頭から二〇枚目表五行目末尾まで及び三三枚目裏三行目冒頭から四四枚目裏一一行目末尾までのとおりであるから、これを引用する(ただし、三六枚目裏八行目の「その後」から一一行目末尾までを「その後、同五七年六月に改めて呼びかけを行ったところ、昭和五八年二月までの間に二二人の申請者があり、環境庁では同年一二月二六日までに全員についてその処分を終わった。また、昭和五八年一二月末に再度の呼びかけを行ったところ、昭和五九年三月末までに二二人の申請があった。」と訂正する。)。
(1) 検診、審査業務をスムーズに行うための努力について
ア 昭和四八年の夏ころにおいては、水俣湾地区住民の健康調査が継続していた上、第三水俣病問題が生ずるに及んで、その究明及び対策が重大かつ緊急の課題となり、有明湾及び八代海沿岸住民健康調査が開始されていたのであり、これらの調査が終了した後の昭和四九年七月ないし八月になって、認定申請者らに対する集中検診がようやく可能となったのであるから、昭和四八年初頭から医師を大量に動員して検診を実施することが可能であったとは到底いえない。
イ また、審査会の審査態勢は、被控訴人らが所属し、又は共同行動をとっている協議会(水俣病認定申請患者協議会)による反対行動のため、昭和四九年八月から昭和五〇年四月まで停止せざるを得なくなったものであり、右の反対行動があったことや、水俣病についての医学的判断が困難である上に、検診、審査業務に携わる医師の確保が困難な状況にあったことからして、昭和四八、九年当時において、被控訴人ら主張のような審査態勢をとることは困難であった。
(2) 審査会の答申保留を回避するための努力について
答申保留の意義についての控訴人らの主張は、第一審判決三一枚目表八行目冒頭から三二枚目表末行末尾までのとおりであるから、これを引用する。
答申保留の措置は、医学的判断の性格並びに救済法及び補償法の趣旨に沿ったもので、専門医学的諮問機関である審査会に認められた裁量の範囲内にある合理的な運用である。そして、審査会が採った水俣病像の把握は当時の医学界において正当として支配的に認められた見解に依拠しており、かつ、後記被控訴人らの個別事情についての控訴人らの主張のとおり、検診における症候の把握、審査会における審査・判断の過程に不合理な点はないから、審査会の裁量判断が著しく不合理とはいえない。そもそも知事が審査会に対して是正、監督権限を有しないことは、後記(3)のとおりであるが、それは措くとしても、審査会が右のような運用をしたこと及び知事において右運用を是認してきたことについては何ら非難されるべき点はない。
(3) 認定業務改善のためのその他の努力について
審査会は、公害健康被害としての水俣病のり患の有無という極めて専門的な事項について知事が諮問するものであり、知事は審査会の意思決定を尊重すべきものであるし、知事の処分が申請者の補償給付を受ける地位の得喪に係るものであることからすると、審査会は職務の執行について独立公正が強く要請される機関であり、また、審査会は合議体で構成されているから、独立行政機関である。したがって、諮問者である知事は、審査会に対し、その審議及び意思決定について通常の下部機関に対するような指揮監督権を有しないし、審査会の意思決定という審査会の所管事務のうち最も独立性が保障されるべき核心的事項に直接関係する審査会の審査方法に関しては、これを是正させるべき権限は有せず、そのような点について知事が干渉することは、審査会の独立を侵すものとして許されない。審査会の審査方法については、審査会の独自の判断にゆだねられており、知事がこれを是正したり、監督する権限はないから、知事が被控訴人ら主張のような方策あるいは差戻し前の第二審判決が改善策として指摘するような方策を審査会に採用させることは、そもそも法的に不可能であった。
ア 診断書の重視について
認定申請書に添付された診断書の多くは、単に水俣病であるとの判断結果だけが記載されているにすぎず、審査会の審査、判定に資するには内容的に不十分であったし、作成医師も、どの分野を専門とする医師なのか、どの程度の研さんを積んだ者なのか不明であり、水俣病り患の有無の資料としての正確性の担保を確保できないものであったから、診断書を重視することによっては、審査会にかかる負担が軽減され、認定業務に要する時間が短縮することにはならない。
イ 疫学条件の重視について
水俣病にり患しているか否かの判断は、疫学条件のみならず、その症候についての医学上の専門技術的判断が必要なことは前記のとおりであり、疫学条件を過大に重視することはできない。
ウ 検診医療機関の拡大について
水俣病の症候は他の疾患にも同様に認められる非特異的のものであるから、類似症候をもたらす他疾患との鑑別には特に高度の神経学的知識が要請され、医学的に有効な所見を得るためには、神経学的検査の技術的習練や解剖学、生理学等の医学的専門知識はもとより、患者の応答に対する深い洞察力が要請される上、それぞれの分野における公正かつ厳正な医学的検査が不可欠であり、単に各科を専門とする開業医であれば検診が可能というものではない。
水俣病の検診は、その高度の専門性から、これを実施できる医師や医療機関がもともと限られており、知事は、この限られた医師や医療機関に検診を委任していたから、知事は通常期待される努力を尽くしていた。
エ 検査項目の適正化について
昭和四八年当時及びそれ以降においては、水俣病としていわゆるハンターラッセル症候群の諸症状を備えている例は少なく、これらの主要症候のうちの一つ又は二つ程度しか備えていない症例が増加するとともに、他の類似疾患との鑑別が一層困難となっていたから、類似疾患との鑑別のために必要な検査は必須のものとなっていたのであり、検診で実施されていた検査項目は、審査会が申請者の水俣病り患の有無を判定するために必要なものばかりであった。
オ 審査会構成員の改善について
補償法の下での審査会は、水俣病においては、他の公害健康被害と異なり、医学的判断としての水俣病り患の有無だけについての意見を求められているのであるから、審査会は医学に関し学識経験を有する者をもって構成されること及び医学的診断に基づく答申を行うこととされているといえる。被控訴人らの主張のように審査会の構成や答申内容を改善することは法的に不可能であり、相当とも考えられない。
カ 審査会の議決方法の改善について
審査会の議決を全員一致にするか否かは審査会の裁量事項である。審査会は、認定申請にとって不利益となる判定について全員一致とする運用を行っているものであり、これは審査会の裁量の範囲内にある合理的な方法であるし、知事にはこれらの事項について審査会に対し是正監督する権限はないのであるから、被控訴人ら主張の方策を採ることは不可能である。
キ 知事独自の判断について
審査会の答申が医学の専門家である審査会委員の専門医学的知識に基づいて行うとされていることからすれば、知事は、審査会の意見の内容に明らかに不合理と認められる事情がない限り、これを尊重し、これに基づいて処分することが救済法及び補償法の要請に沿うものであり、知事が独自に判断することは相当でない。実際問題としても、審査会において的確な判定が困難であるとされる事例につき、知事が独自に処分するとなれば、その処分は医学的判断に基づかない恣意的なものとならざるを得ず、救済法及び補償法の要請にもとることは明らかである。
3 被控訴人らの個別の事情について
別紙二「被控訴人らの個別事情についての控訴人らの主張」のとおりである。
第五 当裁判所の判断
一 要件①、②の充足性について
前記第二の二1、2の事実によれば、被控訴人らは、最も長い者で約九年四月、最も短い者でも約三年四月もの間、各認定申請に対して応答処分がされないままであったのであるから、その大部分の者(特に不作為判決原告ら及びこれと同程度以上の期間応答処分がされないままの被控訴人ら)については、要件①、②を充足していると認める余地がないではない(一般に、ある行政処分の申請があった場合に、処分庁が右と同程度の長期間にわたり応答処分をしないことは、余程の特殊な事情がない限り、行政手続上の作為義務を負う期間を遥かに超えた違法なものと評価されるべきであろう。)。
しかし、差戻し審である当審が拘束される本件上告審判決によれば、水俣病の認定申請について知事が条理上の作為義務に違反したといえるためには、更に要件③を充足することが必要とされるのであり、結局は、本件において、要件③を充足しているといえるかどうかが最も重要な争点であるから、以下これについて、検討を加えることとする。
二 要件③の証明責任等
1 証明責任等について
知事が条理上の作為義務に違反したといえるためには、要件①ないし③のすべてを充足することが必要であるが、一般に、知事が申請に対して一定の処分をする場合には、その処分は手続上必要な期間内にすることが期待されているし、通常はそうすることが可能であるといえるから、要件①、②が充足されれば、換言すれば、知事が処分のために手続上必要と考えられる期間内に処分できず、かつ、その期間に比して更に長期間にわたり遅延が続いていることが認められれば、要件③、すなわち、その間、知事が通常期待される努力によって遅延を解消できたのに、これを回避するための努力を尽くさなかったのではないかと一応推定できるし、右の努力を尽くしたか否かについての判断の前提となる事実の証明に必要な証拠は、その大半が処分庁である知事や控訴人らの下にあると解されることからすると、要件③については、「その間、知事が遅延を解消するために通常期待される努力を尽くしたが、それによっても遅延を解消できなかった。」ことを控訴人らが証明する責任を負うと解するのが相当である。
なお、被控訴人らは、被控訴人らの利益の重大性に照らすと、要件③は規範的に制約されている旨の主張をするところ、本件上告審判決が、被控訴人らの利益の重大性を考慮した上で、要件①ないし③の充足性に関する具体的諸事情を認定して、総合的に判断・検討すべきであるとしていることは明らかであり、当裁判所も、右の具体的諸事情を踏まえて要件①ないし③の充足性を判断・検討すべきものと解するから、被控訴人らの主張が、救済法、補償法の趣旨から導かれるあるべき認定制度や知事の努力の姿を定立して判断すべきであるとする点はともかく、それが右の具体的諸事情を踏まえる必要がないというのであれば、採用の限りでない。
2 ところで、知事が処分庁として努力を尽くしたといえるか否かを判断するには、被控訴人らの認定申請から知事の応答処分(ないしその未了)に至るまでの間の、当時の全体の認定申請件数、検診、審査の機関等の能力、その内容や運営方法、申請者の協力等の諸事情を考慮する必要がある(本件上告審判決参照)から、以下、これらを中心に当時の諸事情について、項を改めて、見ていくこととする。
三 要件③の充足性に関する諸事情
1 水俣病に関する医学上の判断について
証拠を総合すれば、次の事実が認められる。
(認定に供した証拠―甲九七号証の一、二、乙一号証の二、三、一一七、一一八号証、一三二号証、一六〇号証の一、二、一六八ないし一七一号証の各一、二、一七二号証、二二五号証の一ないし三、二二七号証の一、二、第一審証人小沢豪、同野村瞭、弁論の全趣旨)
(一) 水俣病は、昭和三一年に水俣地方で公式発見された神経疾患系の疾病であり、当初はその原因、発生機序が不明であったが、発症のメカニズムの解明が次第に進み、「チッソ水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が工場廃水に含まれて排出され、水俣湾内の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂食することによって生じたものと認められる」(昭和四三年九月二六日の政府の公式見解による)中毒性神経系の疾病であることが明らかになった。
(二) 国は、水俣病を公害の一種と認め、昭和四四年一二月一五日に公布された救済法で、水俣病を同法の指定疾病とし、水俣病と認定された者に対し医療費等の支給の措置を講ずることとして、その救済に乗り出した。
同法により、水俣病の認定は、知事が審査会の意見を聴いた上で行うことになり、審査会は、昭和四五年一月に発足(第一期審査会)し、認定申請者(以下「申請者」ともいう。)について審査を行った。しかし、水俣病の症状は、発生当初は、典型的有機水銀中毒症としてのいわゆるハンターラッセル症候群(四肢の感覚障害、小脳性運動失調、視野狭窄、難聴、構音障害等)を高度に示し、水俣病であるか否かの医学的判断は比較的容易であるとされていたが、もともと、神経疾患の診断は、患者の応答により診察を進める場合が多く、相当の熟練を要する医師でないと正確な診断が困難な上、第一期審査会発足ころには、水俣病は、有機水銀中毒症としては非典型的であってこれらの症候を明確に具備していないものが多くなっており、加齢現象や他の疾病も類似の症候を示すことから、申請者の示す症候が水俣病であるか否かの医学的判断は、一層困難となってきていた。
(三) 昭和四六年八月七日、審査会の答申を受けて知事がした棄却処分について一部の申請者らが申し立てていた行政不服審査請求に対し、環境庁長官が右棄却処分を取り消して差し戻す旨の裁決をしたのに伴い、環境庁は、従来の認定に関する処分は、救済法の趣旨に必ずしも副わず、その運用に欠けるところがあったとして、救済法が、公害に係る健康被害の迅速な救済を目的としているという法の趣旨をあらためて明らかにするため、四六年次官通知を発出し、水俣病であるか否かの判断についての一定の基準を示した。
(四) 四六年次官通知によれば、水俣病の認定の要件は、
「(1) 水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起る神経系疾患であって、次のような症状を呈するものであること、
イ 後天性水俣病
四肢末端、口囲のしびれ感にはじまり、言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴などをきたすこと、また、精神障害、振戦、けいれんその他の不随意運動、筋強直などをきたす例もあること。
主要症状は、求心性視野狭窄、運動失調(言語障害、歩行障害を含む。)、難聴、知覚障害であること。
ロ 胎児性または先天性水俣病
知能発育遅延、言語発達遅延、言語発育障害、咀嚼嚥下障害、運動機能の発育遅延、協調運動障害、流涎などの脳性小児マヒ様の症状であること。
(2) (1)の症状のうちいずれかの症状がある場合において、当該症状のすべてが明らかに他の原因によるものであると認められる場合には水俣病の範囲に含まないが、当該症状の発現または経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められる場合には、他の原因がある場合であっても、これを水俣病の範囲に含むものであること。
なお、この場合において「影響」とは、当該症状の発現または経過に、経口摂取した有機水銀が原因の全部または一部として関与していることをいうものであること。
(3) (2)に関し、認定申請人の示す現在の臨床症状、既往症、その者の生活史および家族における同種疾患の有無等から判断して、当該症状が経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを否定し得ない場合においては、法の趣旨に照らし、これを当該影響が認められる場合に含むものであること。
(4) 法第三条の規定に基づく認定に係る処分に関し、都道府県知事は、関係公害被害者認定審査会の意見において、認定申請人の当該申請に係る水俣病が、当該指定地域に係る水質汚濁の影響によるものであると認められている場合はもちろん、認定申請人の現在に至るまでの生活史、その他当該疾病についての疫学的資料等から判断して当該地域に係る水質汚濁の影響によるものであることを否定し得ない場合においては、その者の水俣病は、当該影響によるものであると求め、すみやかに認定を行うこと。」
とされ、同年九月二九日発出された環境庁企画調整局公害保健課長通知によれば、右次官通知で明らかにした認定要件は、専門の医学者が厚生省の委託に基づき、「公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会」として行った水俣病研究の成果を基礎とするものであって、
「審査会も右認定の要件に従って審査することとなること、認定申請者の示す症状の全部または一部が『有機水銀の経口摂取の影響によるものであることを否定し得ない』とするかどうかは、水俣病に関する高度の学識と豊富な経験を基礎とすべきものであり、この医学的判断をもとに知事が認定に係る処分を行う。」
ものとされ、熊本県においても、以後はこれらの基準に依拠して審査が行われることとなった。
(五) しかし、四六年次官通知によっても、同通知に示された症状があるといえるか、当該症状が経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを否定し得ない場合を含め、当該症状の発現又は経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められるといえるかについては、なお、その判断が困難な場合が少なくなく、審査会委員の間においても意見の一致を見ないことがままあった。
(六) その後、昭和四八年一〇月五日に補償法が公布され、公害健康被害の補償を行うとともに、被害者の福祉に必要な事業を行うことにより、健康被害に係る被害者の迅速かつ公正な保護を図ることになったが、同法の下においても、知事は認定申請に基づき、審査会の意見を聴いて応答処分を行う認定制度が継承された(救済法は廃止されたが、救済法の認定申請をしている者は従前の例により認定することができ、救済法による認定を受けた者は補償法による認定を受けた者とみなされることとされた。)。
(七) その後、環境庁は、専門家による水俣病認定検討会の報告に基づき、昭和五二年七月一日、企画調整局環境保健部長名で、五二年判断条件(乙一一七号証。その内容は、別添(一)のとおりである。)を発出し、また、昭和五六年七月一日、同部長名で、「小児水俣病の判断条件について(通知)」(乙一三二号証。その内容は、別添(二)のとおりである。)を発出するなどして、水俣病の判断基準を明らかにすることに努め、熊本県においても、これらの基準に依拠して審査を行ったが、これらの基準によっても、申請者が基準に示された症候を有するか否か、その症候が他の疾患によるものといえないと判断できるか否か等について、なお医学上の判断が困難な場合が少なくなかった(なお、これらの水俣病の判断基準については臨床医や医学者らの間に種々の見解があるようであり、被控訴人らも、少なくとも五二年判断条件は、ハンターラッセル症候群に代わるドグマであって、水俣病の認定基準として厳しすぎるなどと批判しているところである。現代において、医学一般はもとより、水俣病に関する医学的研究についても、時の経過に伴う進歩、発展がみられることは明らかであるから、公害健康被害の迅速、公正な保護を目的とする補償法の下における認定基準も、医学的研究成果に応じた適正な検討が常に加えられるべきであることは、いうまでもない。また、健康被害者と原因企業との間における損害賠償請求訴訟等の場面においては、当該健康被害者が水俣病にかかっているかどうか(原因企業による有機水銀化合物の排出と相当因果関係のある健康被害かどうか)を判断するに際して、五二年判断条件が裁判所の認定判断を拘束するものではないことも当然である。しかし、本件は、被控訴人らが、救済法ないし補償法に基づく認定制度を前提として行った水俣病認定申請に関する訴訟であり、右認定手続(審査会の審査及びその答申を受けた知事の処分)が右の判断基準に基づいて運用される制度である以上は、その判断基準の当否自体は本件の審理判断の対象となるものではない。)。
2 熊本県における水俣病認定申請から処分に至るまでの手続の概要
証拠によれば、被控訴人らの申請時以降の時期(この時期及びその前後の若干の期間を指して、以下「当時」ともいう。)における熊本県での水俣病認定申請から処分に至るまでの手続の概要は、次のとおりであることが認められる。
(認定に供した証拠―乙一号証の二、三、二号証の二、五号証、六号証の一ないし三、七号証の一ないし四、八ないし一〇号証、八六号証の一、八八号証の一、二、九〇号証の一、三、九一号証の一、二、一一六号証の二、一二三号証の一ないし四、一五五号証の一、二、一五六、一五七号証、一六〇号証の一、二、二二七号証の一、二、二三〇号証、第一審証人小沢豪、同野村瞭、弁論の全趣旨)
(一) 申請の受理
認定申請者から申請書が熊本県公害部公害保健課(昭和四九年六月までは衛生部公害対策課。以下「公害保健課」という。)に提出されると、同課がその記載及び診断書等の添付書類について形式審査を行い、適法であればこれを受理して、申請者に対し受理通知を行う。
(二) 疫学調査及び検診
(1) 公害保健課は、関係医師等と打合せの上、検診計画を作成する。
(2) 右計画に基づき熊本県水俣病検診センター(昭和五一年五月一日以前は、国民健康保険水俣市立病院に併設した熊本県の健診センター。同健診センターが設けられた昭和四八年七月以前は、国民健康保険水俣市立病院。以下、各時期のものを通じて「検診センター」ということもある。)において、熊本県職員が疫学調査(職歴、家族状況、生活歴、自覚症状、既往症、症状の経過、食生活等の調査、昭和五〇年五月からは、検診センターでの検診業務が増加したことや申請者を長時間検診センターで待たせるのは好ましくないことから、原則として県職員が申請者宅を個別訪問して調査する方法に改めた。)を行い、予備的検査として、視力検査(裸眼視力及び必要に応じて矯正視力の検査)、眼球運動検査(視標追跡装置等を用いて眼球運動の障害を調べる検査)、視野測定(ゴールドマン量的視野計を用いて求心性視野狭窄及び沈下の有無を調べる検査)、聴力検査及び語音弁別検査(磁気オージオメーター等を用いて難聴の鑑別を行う検査)等を行う(これらの予備的検査は、熊本県の健診センターが設けられる以前は、左記(3)の医師による検診の際に併せて行われていた。)。
(3) これらの疫学調査及び予備的検査の後、神経内科、眼科、耳鼻咽喉科、精神科及び必要に応じて他科の専門医師による検診を行う(精神科の検診は、申請者の要望等により、精神症状に限らず、神経症状の分野についても検診を行っており、その結果、神経症状の分野においては、精神科と神経内科の検診はほぼ同じ内容となっている。なお、精神科の検診は、昭和五一年四月から必須となった。)ほか、血圧測定、尿の一般検査、梅毒血清学的検査、頸部の平面、断層等のX線検査を行う。また、医師の指示により、必要に応じて各種血液検査、脳波検査、筋電図検査、心電図検査、知覚伝導速度検査等を行う。
これらの検診は、前記四六年次官通知ないし五二年判断条件に示された症状ないし症候があるか否か、またその症状ないし症候が有機水銀の影響によるものであるか否か、あるいは他の疾患との関連はどうかを調べるためであり、その検診項目等は、前記「公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会」の報告に基づく昭和四五年の厚生省の通知等に依拠しつつ、審査会委員らが検討して定めたものである。
(4) 検診センターに来所して検診を受けることのできない重症者、高齢者等に対しては、医師が申請者宅に出向いて検診を行う。また、申請者が死亡した場合は、遺族の意向により解剖の上病理学的検査を行うか、従前の記録を調査する。
(5) 以上の調査及び検診の終了後、審査会委員は、これらの検診資料に基づき審査会資料を作成整理し(ただし、疫学調査関係部分は県職員が作成する。)、公害保健課に提出する。
(三) 審査会への諮問
知事は、審査会資料の整備された申請者について、当該資料を添付して申請者が水俣病にり患しているか否かを審査会に諮問する。
(四) 審査会の構成・審査方法・答申内容
(1) 審査会委員は、医学に関し学識経験を有する者の中から、知事が任命する委員一〇人で組織され(昭和四九年八月からは、他に専門委員若干名を置くことができるとされた。)、神経内科、精神科、眼科、耳鼻咽喉科、小児科等の専門医が就任している。
(2) 審査会では、各委員に審査会資料が配布され、熊本県の担当職員が疫学調査の結果を説明した後、神経内科、精神科、眼科、耳鼻咽喉科等の担当委員が各科の検診所見を説明し、全員で所見の評価、確定を行い、その上で、申請者が水俣病にり患しているか否かを全員で医学的見地から総合的に判断し、知事への答申内容を決定するという審査方法がとられている。
(3) 右の総合判断に基づき、審査会は、申請者の症状が、①水俣病である、②水俣病の可能性がある、③水俣病の可能性を否定できない、④水俣病ではない、⑤わからない、の五つの場合に分けて判定し、その内容に従って知事に答申するが、症状が不明確である場合、他疾患との識別が困難な場合、知能障害等で所見が十分にとれない場合、症例のとり方があいまいである場合、症状の間に矛盾がある場合、一応水俣病でないと考えられるが水俣病の疑いを全く捨てきれない場合など、これらの判定が困難で答申内容が全員で一致しない場合には、再検診や観察を要するなどとして、答申を保留することもある。これは、これらの場合に審査会が何らかの答申をするとすれば、④または⑤の答申とならざるを得ないが、その答申を受けた知事により、申請者に対して棄却処分がされるおそれがあるため、被害者救済の見地から、このような場合は、答申を保留することで全員の意見が一致したことによる。
答申保留の場合は、審査会は知事に対し、次の区分に従って、その理由を明らかにしている。
「6a 要検討(資料不足)(更に追加資料、場合によっては再検診が必要な保留の意味)
6b 要観察(一定期間おいて検討)(更に検診が必要な保留の意味)
6c 一括検討(同一症例を集めて審査する保留の意味)
6d 継続審査(引き続き、次回あるいは次々回の審査会で継続して審査する保留の意味)」
したがって、審査会条例では、「審査会の議事は、出席委員の過半数で決し、可否同数のときは会長の決するところによる。」とされているが、審査会では、右の答申保留にする場合を含め、知事への答申内容について各委員の判断が最終的には自ずから一致することから、特に多数決によって決するということはしない扱いである。
(五) 知事の処分等
知事は、右①ないし③の答申の場合には、水俣病と認定する旨の処分を行い、④の答申の場合には、申請を棄却する旨の処分を行って、申請者に通知するほか、答申保留の場合には、熊本県公害部長名で、申請者に対し、答申保留の理由等を通知している。
3 当時の全体の認定申請件数及び処分件数、検診医数等
証拠(甲六三号証、七八号証の一ないし三、乙一二号証、八二ないし八四号証、一二四ないし一二六号証、一二九、一三〇号証、一八九号証、二二二号証)によれば、救済法施行前から昭和五七年度までの認定申請件数及び処分件数は、別添(三)「水俣病認定申請及び処分状況表」(乙一八九号証)のとおりであること、また、昭和四五年一月から昭和五五年三月までの月別認定申請件数、審査件数、未処分件数累計は、別添(四)「熊本県における月別認定申請件数等」(乙八三号証)のとおりであること、昭和四八年一〇月から昭和五六年三月までの月別検診医数等は、別添(五)「検診医数等実績表」(乙二二二号証)のとおりであることが認められる。
4 当時の検診、審査態勢を巡る事情その一―健康調査の実施等
(認定に供した証拠―甲一〇〇号証、一九一号証の一ないし三、乙四号証、九〇号証の一、九一号証の一、二、一八七号証の一、二、一八八号証の一ないし三、二二三号証の一ないし三、二二四号証の一、二、差戻し後の当審証人原田正純)
(一) 昭和四六年三月、熊本大学医学部に水俣病研究に取り組むための第二次水俣病研究班(一〇年後の水俣病研究班)が結成されたが、熊本県は、同大学医学部及び体質医学研究所に対し、水俣及びその周辺の水銀汚染の現況とその推移や人体に及ぼす影響を改めて調査研究し、患者の治療にも役立てるため、その疫学的、臨床医学的、病理学的研究を委託し、同年八、九月に同研究班は、水俣病が多発した水俣地区、汚染の影響が疑われている御所浦地区、汚染の可能性が少なく対照と考えられた有明地区の三地区の住民検診をした。この検診のため、延べ二〇五人の医師が、また補充調査のため延べ四四人の医師が、それぞれ動員され、三五五五人を検診した。
(二) さらに右研究委託後も、各地で潜在患者の存在が明らかになり、住民の不安感が高まったため、熊本県は、水俣病の全貌を明らかにし、水俣病対策の推進を図り、地区住民の不安感を解消するため、前記熊本大学第二次研究班の調査とは別に、昭和四六年一〇月から水俣湾周辺地区住民の健康調査を実施した。
水俣湾周辺地区住民健康調査は、水俣湾周辺の漁民を中心に約五万五〇〇〇人を対象に、第一次検診としてアンケート調査を行った結果、約一万二〇〇〇人が第二次検診を必要とするとされたため、第二次検診として昭和四七年二月から現地開業医による診察を行った(約五五〇〇人が受診)が、そのうち約一六〇〇人が更に検診を必要とするとされたため、第三次検診として同年六月から熊本大学医学部関係各科の専門医による精密検診が行われた。第三次検診は、同年末から昭和四九年九月まで行われ(一二三四人が受診)、昭和五〇年八月に最終結果がまとめられたが、その結果によれば、水俣病及びその疑いのある者が一五八名、判断保留者が三九八名であった。
(三) 前記熊本大学第二次研究班の研究結果は、昭和四七年三月と昭和四八年三月に「一〇年後の水俣病に関する疫学的、臨床医学的ならびに病理学的研究」と題する報告書にまとめられたが、同報告書において、水俣病患者が多数発見されたほか、その疑いのある者も相当数存在することが明らかにされ、また、有明地区においても、水俣湾や新潟県阿賀野川に続いて、水銀汚染による第三の水俣病が発生している可能性がある(いわゆる第三水俣病問題)との問題提起が行なわれた。
環境庁は、右の問題提起に対処するため、昭和四八年六月、有明海周辺住民の健康調査検討委員会を、同年七月、水銀汚染調査検討委員会をそれぞれ設置して検討した結果、環境庁の委託を受けて、沿岸の長崎、佐賀、福岡、熊本の四県が主体となって有明海周辺住民について健康調査を行うこととし、同年七月から昭和四九年三月までの間に、沿岸住民一〇万人を対象に、右(二)の水俣湾周辺地区住民の健康調査と同様の方法で健康調査が実施された(熊本県においては、約三万一〇〇〇人を対象とした有明海及び八代海沿岸住民健康調査が実施された。)。
この調査には、従来水俣病の検診に従事していた熊本大学や鹿児島大学以外の、前記各県所在の大学や国立病院も参加したが、熊本県においては、熊本大学医学部の専門医による研修を受けた県医師会及び関係医師会の医師の協力による第二次検診(延べ三一六人の医師が従事し、約三〇〇〇人が受診)の後、昭和四八年一二月から昭和四九年三月にかけて熊本大学医学部の専門医による第三次検診が行われた(延べ一四七人の医師が従事し、二七〇人が受診)。調査の結果は、昭和四九年六月に出されたが、永く水俣湾において船上生活をし、同海域の魚を多食した一人を除いては、現時点で水俣病と判断される者はいないとされた。
5 当時の検診、審査態勢を巡る事情その二―検診、審査の遅延と医師確保の困難性
(認定に供した証拠―甲五八号証の一、二、乙一二号証、八〇号証、八三号証、八七号証の一、二、八九号証、九〇、九一号証の各一、二、一二四号証、二二一、二二二号証、第一審証人小沢豪)
(一) 第一期審査会は、昭和四七年一月一三日の二年の任期満了まで、審査会を八回開催して延べ一六一人の申請者について審査し、知事は、そのうち一三三人について処分をした。
(二) 第二期審査会は、委員の就任が難航したため、昭和四七年四月一〇日に遅れて発足した。第二期審査会では、申請者の増加と発足の遅れから、すでに未処分件数が三〇〇件を超え、申請後一年を経過した申請者が出たため、当初から審査の促進が重要課題とされた。
そこで第二期審査会は、第一期審査会が不定期開催であったのを、概ね二か月に一回、一回二日間の定期開催に改めて審査件数を一回六〇人程度に増やし、答申内容についても、前記2(四)(3)のとおり、五段階に分けて答申することとし、知事の認定作業の便宜を図り、さらに昭和四八年三月からは、委員の協力を得て審査件数を一回八〇人程度とし、また、同年六月からは、従前一緒に審査していた鹿児島県分を分離して、熊本県分だけの審査をすることにするなどして、任期満了の昭和四九年四月九日までに一三回の審査会を開き、延べ八六六人の審査を行って五九九人を答申し、知事はこのうち五九七人について処分をした。
(三) しかし、この間、昭和四八年三月に熊本地方裁判所においてチッソの水俣病患者に対する損害賠償責任を認めるいわゆる第一次水俣病判決がされたこと、同年七月に水俣病患者東京本社交渉団とチッソとの間でチッソが水俣病患者に対してランクに応じて一六〇〇万円から一八〇〇万円の慰謝料や終身特別調整手当等を支払うこと等を内容とする補償協定が締結されたこと(この協定は、協定締結後に認定された水俣病患者についても希望する者には適用するものとされている。)などから、それまで概ね月三〇件ないし六〇件で推移していた申請者数が、同年四月以降約一五〇件ないし五〇〇件と急増したため、右(二)のような措置にもかかわらず、未処分件数は一向に減らず、処分の遅れは一層深刻となった。
(四) このような、知事による処分の遅れ、審査会による審査の遅れの最大の要因は、その前提となる検診の遅れにあった。すなわち、
(1) 熊本県においては、熊本大学医学部が、水俣病の発見当初からその原因解明や住民の健康調査等に関与してきた経緯や、水俣病の診断に当たる神経内科等の専門医の供給源となっていたことから、認定制度の発足当初より、知事の委託した水俣市立病院において、同病院の医師及び熊本大学医学部が派遣する医師により、熊本大学医学部医師を中心とする態勢で、疫学調査及び検診が行われていた。
(2) しかし、前記1(二)のとおり水俣病の診断にあたるには一定の経験が必要であり、その専門医がそもそも少ない上、これらの医師も本来の教育や研究、診療といった業務を持っており、多忙な業務の合間に検診を行うものであること、熊本大学医学部医師が検診のため熊本市から水俣市に赴くのに時間がかかる(片道約三時間を要する)。こと、前記4(一)、(二)のとおり、熊本大学医学部医師は水俣病の第二次研究班の調査研究や水俣湾周辺地区住民健康調査に従事したことなどから、検診数は自ずから制約されざるを得ず、昭和四八年ころは、神経内科の専門医を四人確保するのが精一杯なこともあって、月間四〇人ないし五〇人程度の検診を行うのがやっとの状態であった。
(3) 前記2(二)(2)のとおり熊本県は、昭和四八年七月、申請者の増加に対処するため、検診のための施設として、水俣市立病院内に検診センターを併設し、これに伴い、従前医師による検診の際に行われていた眼科の視力検査、眼球運動検査、視野測定、耳鼻咽喉科の聴力検査、語音弁別検査等を分離して予備的検査とし、疫学調査とあわせて検診センターに配置された熊本県職員が行うことにして医師の負担を減らし、以後検診は、熊本県職員による疫学調査及び予備的検査を経た後、医師による検診を行うようにしたが、前記4(三)のとおり、当時熊本大学医学部医師が有明海及び八代海沿岸住民健康調査に従事したこともあって、右(2)の状況にさしたる変化はなく、検診医数の増加を図ることは困難であり、右検診の遅れが、審査会による審査の遅れ、ひいては知事による処分の遅れの最大要因となっていた。
6 当時の検診、審査態勢を巡る事情その三―集中検診とこれに対する反発
(認定に供した証拠―甲一〇号証の一ないし五、一一号証の四ないし一八、一三号証の一ないし一〇、二七号証の一、二、二八、二九号証、三〇号証の一、二、六五号証、八七号証、八八号証の一、二、九七、九八号証の各一、二、乙一三ないし一六号証、一七号証の一の一、二、一七号証の二ないし八の各一ないし三、一七号証の九、一七号証の一〇ないし一八の各一ないし三、一七号証の一九の一、二、一七号証の二〇、一七号証の二一ないし二九の各一ないし三、一七号証の三〇、一七号証の三一ないし三二の各一ないし三、一八号証の一ないし二五、一九号証、二二号証、二四ないし二八号証、三〇ないし三五号証、三八号証、三九号証の一ないし三、四一号証の一ないし四、四二号証の一ないし六、四四号証、四六号証、四七号証の一ないし三、四九ないし七六号証、八三号証、八八号証の一、九〇号証の一ないし三、九一号証の一、二、二三〇号証、第一審証人小沢豪、差戻し後の当審証人川本輝夫、同原田正純、同沢田一精、第一審における被控訴人緒方正人、弁論の全趣旨)
(一) 知事は、検診数の増加を図るべく、昭和四八年ころから環境庁に対し、検診医師の確保等認定業務促進についての要望を行っていたが、環境庁は、前記4(三)の有明海沿岸住民の健康調査に従事した各大学(熊本大学、鹿児島大学、九州大学、久留米大学、長崎大学)及び国立病院(国立福岡病院、同大村病院、同熊本病院)に検診への協力を依頼することが可能ではないかと考えて熊本県に提案し、熊本県もこれを検討することとし、昭和四九年二月、知事と環境庁が共同して、右各大学の教授、病院の病院長等を委員とする水俣病認定業務促進検討委員会を設置した。
右委員会で検討した結果、未処分件数滞留の事態を打開するため、従来の熊本大学中心の検診態勢に加え、新たに九州各県の各大学等の専門医による検診態勢を組むことによって検診処理能力の向上を図ることとし、右各大学及び国立病院が協力して、当面各大学の夏休みにあたる同年七、八月に集中検診を行うこととした。
これを受けて、五つの検診班(九州大学、久留米大学、熊本大学、長崎大学と鹿児島大学、水俣市立病院と前記各国立病院)が編成され、同年七月から検診センターにおいて集中検診が実施され、同年八月末までの間に、神経内科四四四人、眼科三六四人、耳鼻咽喉科四一五人の検診が行われた。右集中検診に携わった医師は、内科二九人、眼科一四人、耳鼻咽喉科一七人、小児科、精神科各一人の合計六二人であった。
また、これと並行して同年九月から一二月までの検診予定も立てられ、右各大学等との打合せの結果、毎月七〇数人から多い月で一五〇人を検診することで了解が得られた。
知事の見通しとしては、今後各大学等の協力を得た集中検診態勢を継続することにより、それまでの未処分件数については、昭和五一年一一月には処分の遅れを解消できる予定であった。
(二) ところが、右集中検診に対して、申請者の間から、検査のやり方がひどい、正規の医師でない臨床研修医が含まれているなどとして、検診が杜撰ででたらめであるとの非難が起こり、昭和四九年八月一日、被控訴人らの一部を含む申請者ら約三〇〇人によって、水俣病被害の真実を明らかにし、水俣病問題における国、熊本県、チッソの責任を追求するとともに、患者の救済促進のために行動することを目的とする、水俣病認定申請患者協議会(以下「協議会」という。)が結成された(昭和五一年六月現在の会員は約六五〇人。被控訴人らは、協議会の会員であるか、又はその趣旨に賛同してこれに同調している者である。)。
協議会は、環境庁や知事に対して、検診医の氏名を明らかにし、検診カードに担当医師が署名捺印すること、集中検診のデータを審査会の資料として使用しないこと、集中検診に参加した検診医を審査会委員にしないことなどを要求して、同年八月二日、同月一二日、同月二九日、同年九月六、七日と熊本県と交渉を繰り返し、特に、同年九月六、七日の交渉は、協議会会員ら約二三〇人が参加して、六日午後一時三〇分ころから翌七日午後五時三〇分ころにも及ぶ徹夜の交渉で、熊本県職員が協議会会員から暴行を受けたり、疲労のため救急車で搬出されるという事態まで発生した。
また、協議会は、同年九月一一日付けで、集中検診に参加した医師に対し、同検診に参加した意思や水俣病被害に対する考え方等を問う申入書を直接送付し、さらに、同年一〇月七日及び一一月一六日に九州大学、同年一〇月一六日及び一一月一六日に熊本大学に押し掛けるなどの直接行動をとった。
(三) このため、集中検診に参加した医師は、夏休みを犠牲にして協力したにもかかわらず、中傷を受けたとして強い不満を示し、紛争に巻き込まれたくないとして、同年九月一五日ころから検診辞退の意向を示し、熊本大学からは一〇月以降、その他の各大学からは九月以降、検診への協力が得られなくなり、答申保留者に対する審査会委員による再検診等を除いて、検診業務は停止した。
(四) 一方、第二期審査会は、昭和四九年四月九日に委員の任期が満了したため、第三期審査会の委員を選任する必要があり、知事は、認定業務の促進について前記各大学等に検診への協力を依頼していたが、検診と審査とが密接に関連するため、審査についても右大学等に協力を依頼するのが相当と考え、審査業務の促進と充実を図る観点から、①従来の教授クラス中心の構成から、助教授・講師クラスを中心とする委員構成に改める、②検診に協力する各大学、病院からも委員を選ぶ、③審査会委員のほかに、新たに専門委員の制度を設ける(その旨の条例改正もなされた。)、という方針を立てて人選を進めたけれども、就任を断られることもあって難航し、結局、委員九人(精神科の委員一人欠員)及び専門委員三人で第三期審査会を発足させることとし(任期は同年一一月一日から二年)、同審査会は、同年一一月一八日に第一回目の会合を持つこととした。
(五) しかし、協議会は、この審査会に対しても、集中検診に参加した医師が委員になっているなど、患者切捨てのための審査会体制であるとして抗議し、昭和四九年一一月一八日、知事に対して審査会の解散を求める申入書を手渡した上、約二〇〇人が審査会会場に押し掛けて委員に対し公開質問状への即答を求めるなどの反対行動をとったため、同日の審査会は流会となった。
知事は、これらの事態から、協議会らの反対のまま審査会の開催を強行すれば、検診の場合と同様、委員の辞任等を招くと判断し、当面審査会の開催を見送って、協議会等の申請者団体との話し合いにより事態の収拾を図ることとした。
(六) その後、知事は、協議会等の申請者団体と検診及び審査の再開についての話し合いを重ね、申請者団体の要求に応えて、審査会を再開しても当分は認定できる者、重症者等を早く救済することにし、一回の審査では棄却処分は行わないとの意向を表明したり、昭和五〇年一月には申請者に対して審査会の再開問題に関するアンケート調査を行って申請者らの意向を確かめる(回答率六〇パーセントであったが、開催を希望する者はそのうち八割を超えていた。)などした結果、申請者団体の大方の同意を得て、同年四月一九日から審査会を再開することができた(ただし、協議会は、その後も審査会に対して、抗議あるいは申入れを継続した。)。
第三期審査会の再開にあたり、審査会は、知事の要請もあり、一回の審査では棄却の答申をしない旨を申し合わせるとともに、一回八〇人を目標にして審査することとし、以後毎月一回、一回二日の日程で開催し、各回平均ほぼ八〇人の審査を行ったが、この時期は、検診が審査会委員による答申保留者に対する再検診等に限られていた一方で、水俣病にり患しているか否かの医学的判断が困難で、再検診や経過観察を必要とする者が多くなっていたため、審査件数の約七割が答申保留とされる状態であった。
なお、昭和四九年九月及び一〇月に、先に申請者から出されていた不作為の審査請求について、知事の不作為を認める裁決がされ、現段階では明確な所見が得られないとして処分保留となっている者については、在宅検診や主治医の意見聴取等を行うことにより、熊本県が実施した健康調査の第三次検診の結果や熊本大学医学部第二次研究班の検診結果がある者についてはこれらと必要な補足資料を用いることにより、それぞれ審査会の意見を聴いて速やかな処分を行うべきである等とされた(外に、「わからない」という答申を受けた者について処分を保留しているのは違法であるともされた。)ため、審査会は右の申請者の補足資料等を収集して答申をしようとしたが、なお資料が不十分であって、水俣病のり患の有無の判断が困難な者が多く、相当数が答申保留とされた。
(七) 他方、検診の再開については、熊本県は、認定業務を促進したいとの立場から、申請者団体等に対し、熊本大学を中心とした上、他大学等の協力を求めて多数の者を検診したいとの集中検診態勢を提案したが、各申請者団体とも熊本大学以外の医師による検診に反対の立場をとり、特に協議会は、検診医の検診カードへの署名捺印、診断書の発給といった要求を繰り返したことなどからなかなか再開に至らず、ようやく昭和五一年一月一六日及び同年三月二四日の話し合いにより、熊本大学を中心とした検診を再開することについて各申請者団体との合意が成立し、同大学の協力を得て、同年四月から再開されるに至った。
(八) この間、新たな認定申請もあったことから、昭和四九年六月末で検診未了者が一九五一人、審査未了者が二二七五人であったが、審査再開時及び検診再開時には、これらの未了者が更に大幅に増加した。
(九) 検診の再開にあたって、審査会は、答申保留者が多くなっていることから、申請者間の公平を図るため、申請者団体との合意に基づき、審査対象者を、新規に申請した者を申請順に四割、答申保留となっている者で再検診の終了した者を終了順に四割、病弱等により繰り上げて処理をする者二割の割合で順次審査することを申し合わせ、また、知事は、昭和五一年五月一日、それまで水俣市立病院に併設されていた健診センターを熊本県水俣病検診センターとして独立させて、検診態勢の充実を図ったが、検診が集中検診態勢ではなく、従前の熊本大学医学部中心の態勢で再開したため、常駐医のいる耳鼻科(後記8(一)(3)参照)を除き、この時期の検診数は月に五〇人程度であった。
(一〇) 一方、申請者らの一部は、昭和四九年一二月、熊本地方裁判所に対し、知事の不作為の違法確認訴訟を提訴していたが、同裁判所は、昭和五一年一二月一五日、知事の不作為が違法である旨の判決(不作為判決)をした。
7 当時の検診、審査態勢を巡る事情その四―不作為判決後
(認定に供した証拠―甲一〇号証の六ないし二六、五四号証の一ないし三、五五号証の一、二、五六、五七号証、六六ないし六九号証、七二号証の一ないし四、八一号証、八八号証の二、九五号証、一八五、一八六号証、乙一一七ないし一一九号証、一二〇号証の二、一二一、一二二号証、一二三号証の一、二、一二四号証、一三二ないし一三五号証、一三九ないし一四二号証、一四六ないし一四八号証、一四九号証の一、二、一五二号証の一、二、一五三号証、一六二号証の一、二、一六三号証の一ないし二一、一七六号証、一九一ないし一九四号証、二〇〇号証、二〇五号証の一ないし四、二一二号証、二三〇号証、二三二号証、第一審証人小沢豪、同野村瞭、差戻し前の当審証人濱田一成、同野津聖、差戻し後の当審証人沢田一精、第一審における被控訴人緒方正人、差戻し前の当審における被控訴人荒木俊二、弁論の全趣旨)
(一) 不作為判決後である昭和五一年一二月、熊本県は、従前からの国に対する要望に続いて、①認定は被害者の単なる特定にすぎない、②審査、認定基準が明確でない、③「わからないもの」の審査、認定基準も不明確のままである、④検診のための専門医が少なく、常駐医の確保が困難である、⑤県外申請者の検診は困難である、などとして、熊本県の水俣病認定業務については国の責任において直接行うよう要望し、その後も現行制度の抜本的な改正を速やかに実施し、直接国で処理するよう要望を続けた。
これに対し国は、昭和五二年三月に水俣病に関する関係閣僚会議(内閣官房長官、環境庁長官、大蔵、自治、厚生、通商産業及び文部各大臣の七閣僚で構成される。後に国土庁長官も加わる。)を設け、同年六月二八日開催された同閣僚会議において、認定業務の促進のため、①水俣病の判断条件を明らかにする、②症例研究班を設ける、③毎月一二〇件の審査を行うことを目標として、各大学等の協力を得て、熊本県の検診態勢を拡充強化する、等の方針を打ち出した。
(二) 右の方針を受けて国及び環境庁は、次の施策を講じてきた。
(1) 四六年次官通知における「有機水銀の影響が否定し得ない場合」について、具体的な判断条件の整理ができないかを医学的に検討するため、昭和五〇年五月に専門医からなる水俣病認定検討会を設置して検討していたが、その検討結果を踏まえ、昭和五二年七月一日、五二年判断条件を示した。
(2) 昭和五二年一二月、判断困難な事例の研究を行うため、日本公衆衛生協会に委託して、熊本県、鹿児島県、新潟県及び新潟市の審査会委員全員で構成される症例研究班を設け、研究を行ってきた。
(3) 熊本県とともに各大学、国立病院等の協力を得て、常駐医師の確保等、検診医の増強に努め、また、検診に必要な機器の整備を行うことにより、熊本県において、昭和五二年一〇月以降、月間一五〇人検診、一二〇人審査ができる態勢を整えた。
なお、右のような検診、審査態勢を整えることができたのは、五二年判断条件が示されたことにより、水俣病の審査基準がより明確になったことにもよる。
(4) 熊本県外在住の申請者の利便に供するため、昭和五六年度に東海地区に検診を行う機関(国立名古屋病院)を設置し、昭和五八年度には関西地区に同様の機関(国立大阪病院)設置した。
(5) 昭和五二年八月一六日以降、国の職員(医師)を熊本県の幹部職員(公害部首席医療審議官)として出向させ、現地の実情に即した業務の推進に資するようにした。
(6) 水俣病対策の必要な経費の確保に努め、熊本県の負担が過重にならないよう配慮した。
(7) 認定業務促進の基盤を充実するため、検診・審査に必要な研究等を多角的に実施してきた。
(8) 治療研究事業(後記8(一)(2)参照)の内容を逐次改善してきた。
(三) さらに、政府は、昭和五三年六月二〇日の閣議了解で、水俣病対策について、①認定業務の促進のため、環境庁から右促進に係る通知を発する、②旧法時の申請者でいまだ知事の処分が行われていない者は環境庁長官に認定処分を求めることができることとする立法措置が行われるよう、所要の準備をする、③患者に対する補償金支払に支障が生じないよう配慮する等のため、チッソに対する金融支援措置を講じる等の対策を決定した。
これを受けて、環境庁は、同年七月三日、事務次官名で、「水俣病の認定に係る業務の促進について(通知)」を発出し、①四六年次官通知の趣旨は、申請者が水俣病にかかっているかどうかの検討の対象とすべき全症候について、水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づいて総合的に検討し、医学的にみて水俣病である蓋然性が高いと判断される場合には、その者の症候が水俣病の範囲に含まれるというものであること、②後天性水俣病については、今後は五二年判断条件にのっとり、検討の対象とすべき申請者の全症候について水俣病の範囲に含まれるかどうかを総合的に検討し、判断するものであること、③小児水俣病については、水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づいて、検討の対象とすべき申請者の全症候について水俣病の範囲に含まれるかどうかを総合的に検討し、判断するものであること、等の運用指針を明らかにした。
なお、水俣病認定検討会は、昭和五二年二月、小児水俣病に関する検討小委員会を発足させて小児水俣病についての検討を進めていたが、昭和五六年に環境庁に対しその成果を答申し、これを受けて環境庁は、同年七月一日、別添(二)のとおりの内容の「小児水俣病の判断条件について(通知)」を発出した。
また、昭和五三年一〇月二〇日、「水俣病の認定業務の促進に関する臨時措置法」が成立し(同年一一月五日公布、昭和五四年二月一四日施行)、救済法に基づく申請者で未だ審査会の意見が示されていない者のうち希望する者は、直接環境庁長官に対して認定に関する処分を求めることができることになり、環境庁に臨時水俣病認定審査会が設置された。環境庁と熊本県が、昭和五四年五月と昭和五七年六月に、臨時措置法に基づき環境庁長官に対して申請ができる者全員に対し、申請の手続をするよう呼びかけた結果、対象者約一四〇〇人のうち、五〇人が申請した(内九人が認定され、四一人が棄却された。なお、協議会は、これに対しても反対行動をとった。)。
(四) 第四期審査会(任期は、昭和五一年一一月一日から昭和五三年一〇月三一日まで)は、審査会を二三回開催して一九五一人を審査し、第五期審査会(任期は、昭和五三年一一月一日から昭和五五年一〇月三一日まで)は、審査会を二四回開催して二六〇八人を審査し、知事はこれを受けて処分をした(なお、昭和五二年一〇月以降、従来の月間八〇人審査から一二〇人審査が可能となったことは前記(二)(3)のとおりであるが、さらに、昭和五四年四月からは、一三〇人審査が可能となった。)。
しかし、昭和五三年以降再申請者(一旦棄却処分を受けた後に、再度新たに認定申請をした者)の数が増加し、特に昭和五五、五六年度には全申請件数の約六七パーセントにも及んでおり、これら再申請者についても検診、審査の手順が新規の申請者と同様に行われることもあって、未処分件数滞留の状況はなお続いていた。
(五) 不作為判決後も、熊本県と協議会らは、認定業務の遅滞の解消について協議していたが、審査会の答申を受けた知事の処分が、昭和五二年度において認定一九六人、棄却一〇八人でったのが、昭和五三年度は認定一二五人に対し棄却三六五人と逆転し、昭和五四年度は認定一一六人に対し棄却六五七人、昭和五五年度は認定四八人に対し棄却八九〇人と、棄却処分を受けた申請者が急増したことから、協議会らは、国、県、審査会は患者切捨てを強行しており、誠意がみられないとして、昭和五五年九月一八日、検診を拒否する運動を開始し、これに同調する被控訴人らは、熊本県の呼びかけにもかかわらず、次のとおり、検診を拒否し又は検診を受けなかった。なお、協議会らは、審査会が認定患者の大量切捨てを行っているなどとして、昭和五六年五月二九日、審査会委員の辞任や審査会の解散を要求した。
(1) 被控訴人西川末松
熊本県は、京都府宇治市に居住する同被控訴人の都合を確認の上、検診計画(昭和五五年九月一一日から一四日までの間に耳鼻科、内科、精神科を受診する。)を立てて連絡したが、欠席する旨の連絡があった。その後、同被控訴人は、かつて民間病院で検診を受けた際、水俣病と診断されており、その診断結果を考慮すべきであるとして、熊本県の検診を拒否している。
(2) 被控訴人川﨑巳代次
熊本県は、昭和五六年一月五日、同被控訴人に検診通知をした(検診科目・眼科、検診日・同月一四日)が、同被控訴人は連絡をしないまま欠席し、その後同年七月、昭和五七年三月、同年九月、昭和五八年四月の検診通知についても何の連絡のないまま欠席している。
(3) 被控訴人宮本巧
熊本県は、昭和五六年七月一日、同被控訴人に検診通知をした(検診科目・耳鼻科、検診日・同月一〇日)が、同被控訴人は連絡をしないまま欠席し、その後同年一二月、昭和五七年七月、同年一一月、昭和五八年八月、同年九月の検診通知についても何の連絡のないまま欠席している。
(4) 被控訴人白倉幸男
熊本県は、昭和五六年六月一五日、同被控訴人に検診通知をした(検診科目・内科、検診日・同月二八日)が、目の手術のため受診できないとして欠席した。
(5) 被控訴人緒方正人
熊本県は、昭和五六年二月二七日、同被控訴人に検診通知をした(検診科目・精神科、検診日・同年三月一五日)が、同被控訴人は、検診を拒否する旨を連絡し、その後同年五月、同年一〇月、同年一二月、昭和五七年六月、同年一〇月、同年一一月、昭和五八年七月の検診通知について何の連絡のないまま欠席している。
(6) 被控訴人森山忠
熊本県は、昭和五六年六月二日、同被控訴人に検診通知をした(検診科目・耳鼻科、検診日・同月一〇日)が、同被控訴人は、何の連絡のないまま欠席し、その後同年六月の検診通知には、急用のため受診できないとの連絡があったが、その後の同年一〇月、同年一二月、昭和五七年六月、同年九月、同年一一月、同年一二月、昭和五八年七月の検診通知について何の連絡のないまま欠席している。
(7) 被控訴人荒木俊二
熊本県は、昭和五四年一二月の審査会で答申保留となった同被控訴人に対し、運動失調の有無を確認するための再検査を指示し、昭和五九年三月二一日、同被控訴人に対する検診通知をした(検診科目・内科、検診日・同月二九日)が、受診しなかった。
(8) 被控訴人髙木正行
熊本県は、昭和五四年四月の審査会で答申保留となった同被控訴人に対し、神経内科の再検診を指示したが、同被控訴人は、その経緯等は不詳であるが、昭和五七年八月を経過するまで再検診を受けなかった。
(9) 被控訴人大矢繁義
熊本県は、昭和五五年七月九日、愛知県瀬戸市に居住する同被控訴人の受診の意思を確認した上、同被控訴人に対し、検診通知をした(検診科目・内科、検診日・同月二五日)が、水俣病を告発する会から、同被控訴人は身体の具合が悪く熊本に来れない旨の連絡が、その後昭和五七年八月にした検診通知に対しては、東海地方在住水俣病患者家庭互助会から検診拒否の電話が、それぞれあり、同被控訴人はいずれも受診しないままであった。
(六) これらの結果、昭和五五年度以降年々受診率(検診呼出し数に対する受診者の割合)は急減し、熊本県が昭和五六年七月から同年一二月にかけて五回にわたり申請者に対し検診受診依頼通知を発したが、さしたる効果がなく、検診受診者が少ないため、昭和五七年八月以降は、月間一三〇件の審査が困難な状況にある。
8 当時の検診、審査態勢を巡る事情その五―その他の主な施策
(認定に供した証拠―乙一一号証の一ないし五、八六、八七号証の各一、二、九一号証の一、二、一二八号証、一九一、一九二号証、一九六号証の一ないし三、一九七号証の一、二、第一審証人小沢豪、差戻し前の当審証人濱田一成、同野津聖)
(一) 熊本県は、次のような施策をとった。
(1) 昭和四八年以降検診センターの県職員を、順次増配置した(その数は、昭和四八年度が六人であったのが昭和五四年度には三四人に増加した。)。
(2) 昭和四九年一〇月、認定申請者の負担を軽減するため、治療研究事業(治療等に要した経費の一部を助成する事業)を発足させ(同年四月以降の診療分から適用)、認定申請者で未だ知事の処分を受けていない者のうち一定要件を満たす者に対して、研究治療費(健康保険等の自己負担相当額)、研究治療手当、介添手当を支給することとし、順次給付額を改定してきたが、昭和五〇年四月からは、指定地域等に五年以上居住し、認定申請後一年以上経過している者も支給対象に加え、昭和五二年四月からは、はり・きゅう施術療養費を新たに支給することとした。そのほか、昭和五三年一月からは、重症者については申請後六月を経過していれば足りるとして期間を短縮し、昭和五四年四月からは、対象となる重症者の範囲を拡大したり、一定の者に新たにマッサージ施術療養費を支給するなどして、その改善を図ってきた。
(3) 昭和五一年四月、審査会委員清藤武三熊本大学医学部講師(耳鼻科)を県職員として迎え、同医師を同年五月一日から常駐の検診センター所長に就任させ、昭和五二年七月半ばまで検診業務に従事させた。その後、安武敬昭医師(内科)が同年八月一日から右所長に就任し、検診業務に従事した。
また、昭和五四年一月、常駐医として、熊本大学医学部第一内科教室の神経内科の医師一人を確保でき、以後同科の医師が常駐して検診業務に当たるようになった。
(4) 昭和五二年八月、水俣病に係る各種の住民相談等を担当する窓口として、水俣病相談事務所を設置(専任職員四人、その他検診センターと兼務で一一人を配置)した。
(5) 昭和五三年、検診業務を行う庁舎を新たに建設した。検診機器の整備充実も図り、とりわけ昭和五五年度には全身用X線コンピュータ断層撮影装置を導入した。
また、いつでも常駐医の受入れができるよう、昭和五四年度に家族同伴医師用住宅二戸、昭和五五年度に単身者医師用住宅二戸を建設した。
(二) 国は、昭和五三年一〇月一日、水俣病に関する医学的調査及び研究機関として水俣市に国立水俣病研究センター(環境庁の附属機関)を設置した。
四 要件③の充足性に関する全体的判断
1 概括的判断
右三で認定した諸事情に基づき、被控訴人らが知事が処分するために手続上必要と考えられる期間を経過したと主張する時期(最も早い者で昭和四八年一〇月)から損害賠償を請求する終期(最も遅い者で昭和五七年八月)までにおける当時の状況を概括すれば、次のようにいうことができる。
(一) 水俣病は、有機水銀中毒症状を呈する神経疾患であるが、昭和四八年ころには、非典型的症状を呈するものが多く、加齢現象や他疾患との区別が困難となってきており、水俣病にり患しているか否かの医学的判断が困難となってきていた。
(二) 審査会による審査は、申請者が水俣病にり患しているか否かを審査するものであるから、その前提として、申請者について医学的検査を行い、水俣病の症状があるか否か等を調査する必要がある。そのため、申請者についての検診は必須のものである。
(三) したがって、審査を促進するには、その前提となる検診を促進する必要があるが、水俣病の医学的判断が困難であることから、検診には相当の学識と経験を持った専門医に当たらせる必要があるところ、熊本県においては、諸般の事情から、これら専門医の給源は熊本大学医学部に求めるしかなく、その確保はもともと容易でなかった。
(四) 昭和四八年四月以降申請者が急増し、これに伴い未処分件数の累計も急増したため検診医の増員が必要となったが、熊本大学医学部医師は、昭和四七年六月から昭和四九年九月まで水俣湾周辺地区住民健康調査に、昭和四八年一二月から昭和四九年三月まで有明海及び八代海沿岸住民健康調査に、それぞれ従事した等の事情のため、検診に従事する専門医の確保、増員は熊本大学医学部に頼っていたのでは不可能な状態にあり、検診の遅延が審査の遅延、更には処分の遅延を招いていた。
(五) 知事は、環境庁の提案を受けて、昭和四九年、未処分件数滞留の事態を打開するため、熊本大学のほか、九州各県の大学、国立病院の医師を動員することにより、検診医の増加を図って検診の遅延を解消することとし、同年七月と八月に約四〇〇人の集中検診を実施したが、被控訴人らがその趣旨に賛同している協議会等の反対行動のため、検診業務は一部を除いて同年九月から昭和五一年三月まで、審査業務は昭和四九年一一月から昭和五〇年三月まで、それぞれ停止せざるを得ず、再開時には大量の未検診数、未審査数を抱えるに至った。
(六) 検診、審査業務の再開後は、協議会等の申請者団体の要望もあって、集中検診態勢を存続させることはできず、従来の熊本大学医学部中心の態勢によるほかなかったため、検診数の急激な増加を図るのは困難であった。そのような状況の下において、国と熊本県とは検診、審査に従事する専門医の確保に努め、昭和五二年一〇月以降は月間一五〇人検診、一二〇人審査(昭和五四年四月からは一三〇人審査)の態勢を整えるに至ったが、昭和五三年以降再申請者が増加したこともあって、未処分件数の滞留が続いた。
(七) 以上のほか、当時、国及び熊本県は、検診、審査態勢の充実のため、前記認定のとおりの種々の施策を講じたが、これらの施策にもかかわらず、未処分件数の滞留を解消することができなかった。
以上の経緯に照らせば、結果的に十分実らなかったとはいえ、当時の具体的状況の下では、水俣病認定業務を担当する知事としては、検診、審査の態勢を改善、充実させて処分の遅延を解消するための相応の努力をしたということができるが、これらの努力が、要件③にいう「遅延を回避するために知事に通常期待される努力」といえるかについては、さらに被控訴人らの主張等について検討を加えた上、総合的に判断することとする(なお、昭和四八年以降の申請者の急増や、熊本大学医学部ほかの大勢の医師らが大規模な住民健康調査等に従事したこと及び昭和五三年以降に再申請者が増加したこと等について、被控訴人らは、それらは水俣病発生以来の長年にわたる国及び熊本県の行政の無策、怠慢が自ら招いた結果である等と主張するが、本件の国家賠償請求訴訟は、被控訴人らの水俣病認定申請に対する処分庁である当時の知事が、被控訴人らに対して負担する職務上の法的義務に違背したことを請求原因として提起された訴訟であり、認定制度が導入されるに至るまでの経過や施行された認定制度のあり方などの背景事情それ自体は、水俣病問題を行政的ないし政治的に解決する場で考慮されるべき事柄であるとしても、本件訴訟の審理、判断の対象となる事項ではない。そうして、前記三5(三)でみた当時における申請者の増加原因や急増度合にかんがみれば、当時の知事にとっては、それが容易に予測可能であったとはいえないというべきである。また、被控訴人らは、協議会らによる集中検診の検診方法に対する抗議行動や、その後における検診に対する反対行動が、当時の検診、審査の実情に対する認定申請者としての止むに止まれぬ行動であった等とも主張するが、右の一連の行動の真の目的が認定制度の改善によって患者が漏れなく認定されるところにあったとしても、現実になされた行動は、当時熊本県が検診、審査業務の遅滞を解消すべく採ろうとしていた諸施策を阻止し停滞させる内容のものであり、ひいては、個々の申請者にとっても、診査のために必要な検診の完了を遅らせ、処分の遅延を招くこととなるものであるから、その動機、目的はともかく、それが本件の争点である知事が条理上の作為義務に違反したといえるための前記三要件の充足性の判断に影響を与えるものであることは、否定することができない。)。
2 被控訴人らの主張に対する判断
(一) 水俣病概念について
被控訴人らは、水俣病概念は極めて法的な概念であり、医学概念ではないから、水俣病の判断が医学上の診断であるとか水俣病問題が高度の専門的医学的問題であるとするのは誤りである旨主張する。
確かに、救済法及び補償法は対象となる指定疾病として「水俣病」と規定しているのであるから(救済法施行令一条及び別表二、六。補償法施行令一条及び別表第二の一、四)、水俣病が法的概念であるとはいえる。しかし、補償法及びその前身である救済法が指定疾病として水俣病という用語を採用したのは、証拠(乙一号証の二、二二五号証の三)によれば、水俣病は魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起こる神経系疾患と定義でき、水俣病という病名がわが国の医学会や医学文献ではもとより、国際的にも同様に認められている上、魚介類への蓄積、その摂取という過程を経る点で公害的要素を含み、世界の何処にも例のないものであって、その病名が特異性を有することによるものであると認められるのであり、したがって、救済法及び補償法が採用した水俣病概念は法的概念であると同時に、医学上の概念であるということができる。
それ故、救済法及び補償法の下では、水俣病であるか否かの判断は、法的判断であると同時に医学的判断でもあるといえるのであり、相互に排斥する関係には立たないものと解するのが相当である。
また、審査会は、四六年次官通知、五二年判断条件等、救済法、補償法上の水俣病についての公権的解釈に依拠して検診、審査を行い(三1(三)、(四)、(六)、(七)、2(二)(3))、これらに基づいて申請者が水俣病にり患しているか否かの医学的判断を行っているといえるが、右の公権的解釈は、当該各時点における医学界の知見に基づいてまとめられたものである上、知事による水俣病認定業務が国の機関委任事務としての行政手続であり、その一環として検診、審査が行われるものである以上、審査会の審査、判断及びこれに基づく知事の処分がこれらの公権的解釈に依拠することは、相応なものというべきである。
(二) 検診医の大量動員、審査件数の増加措置
(1) 被控訴人らは、検診は各科の通常の診察レベルを有する医師で足り、これらの医師を大量に動員して行うべきであったと主張する。
前記認定事実(三1(四)、(七)、2(二)(3))によれば、申請者が水俣病にり患しているか否かについての審査会における審査は、四六年次官通知、五二年判断条件等に依拠して行われており、審査の前提となる検診も、右四六年次官通知、五二年判断条件等に示された症状があるか否か等を検診しているものであり、その意味では、水俣病であるか否かの検診、審査は、一定の条件への当てはめが可能であるかどうかの問題であるということは可能である。
しかし、水俣病の診断は、相当の熟練を要するものである上、水俣病の症状が非典型的なものになってきており、加齢現象や他の疾病との鑑別も困難になってきていたのである(三1(二))から、右の当てはめ自体が困難なものであるといえるのであって、当時、その検診にあたる医師は、単に各科の通常の診察レベルを有する医師であれば足りるというものではなく、水俣病に関する学識と経験を積んだ専門医である必要があると考えられていたことには、十分な理由がある。
また、熊本県においては、専門医の数自体が主に熊本大学医学部に限られて少なかった上、これらの医師は、昭和四六年から昭和四九年にかけて熊本大学第二次研究班の調査や水俣湾周辺地区住民健康調査、有明海及び八代海沿岸住民健康調査に従事していたのである(三4(一)ないし(三)、5(四)(1)ないし(3))し、昭和四九年七月、八月の集中検診は、大学の夏休みという本来業務に影響の少ない期間に実施されたものである(三6(一))から、被控訴人らの主張するように、昭和四八年初頭から恒常的に大量の医師を動員して健診に当たらせることが可能であったとはいえない。
なお、被控訴人らは、熊本大学医学部精神神経科で約二〇人の教室員を水俣病の診断ができる医師として育成していた旨(差戻し後の当審証人原田正純の証言も同旨)、また、集中検診等の際に広く他の大学や国立病院の医師らの協力が得られたところであるし、国に意欲さえあれば常駐の検診医を六人ほど確保することは容易であったはずである等とも主張する。しかし、前認定の当時の情勢を考えると、実際問題として、被控訴人らが主張するほど容易に検診医が確保できたとの保障はないし、結局は熊本大学医学部の限られた数の医師に検診医の中心となってもらう外には検診業務の停止を解消し得なかったのである(三6(七))から、当時、熊本県ないし知事の努力にもかかわらず充分な数の検診医の確保が難しかったとの前記の結論に変わりはない。
(2) また、被控訴人らは、その後とられた審査態勢からすれば、昭和四八年、昭和四九年一一月の各段階で審査件数を増やすことが可能であった旨主張するが、審査会は、検診を終えた申請者について審査を行うものであるから、検診に従事する医師が十分に確保し得ない当時の事情(右(1)のほか、昭和四九年一一月当時は、前記三6(三)で認定した検診が停止されていた事情)からすれば、被控訴人らの主張する時期に審査件数の大幅な増加を図るのが可能であったということはできない。
(三) 答申保留の措置について
被控訴人らは、審査会がした答申保留は認められない旨主張するので、以下検討する。
(1) 審査会は、医学、法律学その他公害に係る健康被害の補償に関し学識経験を有する者のうち知事等が任命した委員一五人以内で組織され(補償法四五条一項、二項。救済法の下では、医学に関し学識経験を有する者のうち知事等が任命した委員一〇人以内で組織される。救済法二〇条二項、三項)、知事等が水俣病の認定申請に対して認定処分を行う場合に意見を聴かなければならない機関(補償法三条、救済法三条)として設置されたものである(補償法四四条、救済法二〇条一項)。
このように、審査会が合議体で組織されていることからすると、その審査や意思決定は委員の自由な合議によるべきであって、性質上、上級機関からの指揮、命令、監督等には馴染まないものであるし、また、審査会は、知事に対し、申請者が水俣病にり患しているといえるか否かを学識経験に基づいて審査し、知事に答申する諮問機関であるから、第三者がこれに干渉することは本来的に予定されていないものといえる。
したがって、審査会は、知事から独立した行政機関であって、その職務の執行については、独立公正性が要求されているということができ、知事は、審査会委員を任命するほかは、その独立性を害しない限度で、予算、経理等の管理的な事項を統轄できるにとどまるものと解するのが相当である。
なお、審査会の組織、運営その他審査会に関し必要な事項は条例で定められる(補償法四五条四項、救済法二〇条四項)が、条例においても、右の審査会の独立性を害するような事項を定めることは許されないと解される。
(2) このような、知事と審査会の関係に照らすと、審査会の審査や意思決定をどのように行うかは、審査会の合理的な裁量に委ねられているもので、知事において審査会の審査や意思決定に干渉することは、審査会の独立性を侵すものとして許されず、原則として、知事には、審査会の審査や意思決定を是正する権限はないというべきである。
もっとも、前記のとおり、審査会は申請者が水俣病にり患しているか否かについて、学識経験に基づき専門的な立場から審査・答申を行うために設置されたものであるから、審査会の審査や意思決定が、右の審査会の設置趣旨に反して行われているときは、そのような審査や意思決定は、審査会に委ねられた裁量の範囲を超えているものというべきであるから、そのような例外的な場合には、知事は、審査会に対し、その是正を求める権限があると解するのが相当である。
(3) 審査会は、前記三2(四)(3)で認定したとおり、水俣病にり患しているか否かを当該審査時点で判断することが困難な場合には、答申保留の措置をとっているが、このような措置は、水俣病り患の有無という必ずしも判定の容易でない事柄についての判断の正確性を期するため方策であって、一定の合理性を持つものといえ、右の答申保留の措置をもって直ちに不適当な措置であるとはいえない(本件上告審判決参照)。
しかし、水俣病の認定業務は、その結果につき公害健康不服審査会への審査請求が予定され、更には訴訟をもって争う途が開かれていること(補償法一〇六条、一〇八条)を考えれば、いわばその出発点をなす前提業務であり、知事としては適正迅速な処理を心掛ける必要があることはいうまでもない。
したがって、被害者救済に配慮するためとはいえ、審査会による答申保留の措置により当該申請者が長期にわたって処分が未了であるという不安定な地位に置かれることとなる事態は、決して好ましいものとはいえず、場合によっては、審査会による答申保留の措置が前記審査会の設置の趣旨に反するといえるときもあり得るから、そのような例外的な場合には、知事としては、審査会に対し、答申を保留するのではなく、何らかの答申をするよう是正を求めることができるし、またそうすべきであると解するのが相当である。
そして、審査会が独立した行政機関であるとはいえ、四六年次官通知、五二年判断条件が示されて以降、審査会の審査がこれに依拠していること、また、昭和五〇年四月の審査会再開にあたり、知事の要請を受けて、一回の審査では棄却相当の答申をしないことを申し合わせていること(三6(六))などからすると、知事が審査会に対し、右のように是正を求めれば、審査会がこれに応えて答申保留の措置を改めることは十分期待できたといえる(なお、仮に知事が審査会に答申保留の措置の是正を求めても、審査会がそれを改めることができないような事態となれば、審査会が行政の不作為の「かくれみの」となることのないよう、知事は後記(四)(8)のとおり例外的な場合にあたるとして独自の判断をすることが許されると解するのが相当である。)。
もっとも、審査会において答申保留の措置がとられるのは、前記のとおり、水俣病にり患しているか否かを当該審査時点で判断することが困難な場合であることによるものであり、そうであれば、答申保留の措置をとることには一定の合理的理由があることは前記のとおりである(この点は、答申保留が二回以上となる場合及び不作為判決確定後に答申保留となる場合についても、当該時点での判断がなお困難で、その正確性を期する必要性が継続している限り、同様である。)から、知事としては、適正迅速な処理の見地からみて、審査会に是正を求める例外的な場合にあたるか否かについては、当該答申保留とされた申請者について個別に、答申保留に至った経緯、答申保留の理由、答申保留回数、期間等を総合的に検討した上で判断すべきものと解すべきであり、答申保留の比率が高いからといって、一概に、審査会が迅速な答申義務を放棄し、その設置の趣旨に反するに至っているものと断定することはできない。
そうすると、被控訴人らの主張は、以上の限度で理由があるから、答申保留とされた被控訴人らについては、知事が是正を求めるべきであったか否かについて、後に個別に検討を加えることとする。
なお、知事が是正を求めた結果、申請者が水俣病にり患しているか否かの判断が困難なまま答申するとすれば、水俣病か否かは判定できない(「わからない」)との答申がされ、これに基づく知事の処分が棄却処分となる可能性があるが、仮にそうだとしても、当該棄却処分を受けた申請者が再申請することも可能であるし、長期にわたって処分がされないまま不安定な地位に置かれる申請者の立場からすれば、そのような処分であっても処分未了のままよりは甘受できる場合もありうるから、知事の是正権限を否定すべき理由とすることはできない。
(4) 被控訴人らは、審査会により答申保留の措置がとられるような場合には、「わからない」との答申を受けるか、委員の意見が一致しないとして各意見を併記した答申(併記答申)を受けて知事が処分をすべきであったとする。
しかし、既に述べたとおり、審査会は、水俣病のり患の有無について専門的立場から知事に答申するという諮問機関であるから、知事の処分の客観性を担保するためには、「わからない」という答申はできる限り避けるのが相当であるといえるし、併記答申の是非についても、審査会において、最終的な全員一致の意見を待って結論を出すという方法も、知事の処分の客観性を担保するという意味では、利点がある(乙九号証の一、二によれば、審査会は、昭和五一年六月に一度併記答申したことがあるが、処分にあたり知事の判断が容易でないとする知事側の要請により、以後は併記答申を行わなかったことが認められる。)から、審査会が「わからない」という答申や併記答申をしなかったからといって、審査会の議決方法が審査会の設置趣旨に反するものともいえない。
(四) 認定業務改善のためのその他の努力について
前記(三)の答申保留の措置の場合について検討したとおり、審査会は独立の行政機関であって、その審査や意思決定は、審査会の合理的な裁量に委ねられているもので、原則として知事が干渉することはできず、ただ審査会の審査や意思決定が審査会の設置趣旨に反すると認められる場合にはじめて知事が是正を求めることができると解するのが相当であり、以下、この見地から被控訴人らの主張について検討する。
(1) 診断書の重視について
認定申請にあたっては、認定申請書に医師の診断書を添えなければならないとされている(救済法施行規則二条一項、補償法施行規則一条二項)が、証拠(乙一六〇号証、二二七号証の各一、二)によれば、これらの診断書や検診医でない他の医療機関の資料は、内容がまちまちであったり、とられた所見の正確性に疑問があったり、必要な所見の記録が内容として乏しいなど、公平・公正性の点で問題があるものが少なくないことが認められるから、にわかに重視できるものではなく、検診、審査の負担が直ちに軽減されるというものではないというほかはないから、審査会がこれを重視せず、熊本県が特定の専門医による検診を実施していたからといって、これが審査会の設置趣旨に反する取り扱いであると断定することはできない。
(2) 疫学条件の重視について
三1(三)ないし(七)のとおり、申請者が水俣病にり患しているか否かの判断にあたっては、疫学条件はもとより、申請者の症状が水俣病の症状といえるか、他疾患と鑑別できるか等をあわせて検討すべきものであり、この理は、疫学条件が整っているとみられる申請者についても同様である(県の職員による疫学調査(三2(二))により、当該申請者の有機水銀曝露の程度がどこまで客観的に把握できるかについては、なお検討の余地がある。)。審査会が、被控訴人らの主張のようには疫学条件を重視しなかったからといって、審査会の設置趣旨に反する取り扱いであると断定することはできない。
(3) 検診医療機関の拡大について
熊本県の検診態勢及びこれに従事する医師は、三2(二)、5(四)、6(一)ないし(三)、(七)ないし(九)、7(二)(3)、(五)、(六)で認定したとおりである。
被控訴人ら主張のように、救済法及び補償法は、検診機関を認定主体が設置するものに限定はしていない。しかし、既にみたとおり、水俣病は、その医学的判断が困難な神経系疾患であり、その検診には、相当の学識と経験を積んだ専門医があたる必要があるが、熊本県においてこの専門医の数は限られていたのであるし、被控訴人ら主張のように、検査項目、検査法等を定めて民間の専門医に通知するなどの措置をとったとしても、水俣病の検診及びこれに基づく審査が容易に行えるものとは断定しえないから、この点に関する被控訴人らの主張は、にわかに採用できない。
なお、証拠(甲一二八号証ないし一七四号証)によれば、他県の認定業務においては、検診指定医療機関以外の機関による検査も検診として扱っている例があることが認められるが、これらはいずれも前記のような特徴を有する水俣病とは異なる疾病に関するものであり、ひいてはその検診に従事できる医師の数、対象も異なるものといえるから、他県の認定業務の例から、熊本県の検診態勢が不当であったとすることはできない。
また、証拠(乙一一七、一一八号証、差戻し前の当審証人濱田一成)によれば、昭和五四年に申請後死亡した者六六名を審査するにあたり、主治医のカルテ等の資料も加えて審査会の資料としたが、これは、五二年判断条件の4により、申請後死亡した者で水俣病であるか否かの判断が困難な場合には、臨床医学的所見についての資料を広く集めて総合的な判断を行うこととされたことを受けて採った措置であることが認められるから、右の措置を一般化して、熊本県の検診態勢が不当であったとすることもできない。
(4) 検査項目の適正化について
熊本県の検診において実施されていた検査は、三2(二)(2)、(3)のとおりであるところ、被控訴人らは、これらの検査は過剰である旨主張する。
しかし、証拠(甲八〇号証、乙一六五ないし一六七号証の各二)によれば、昭和四五年の厚生省の通知では、水俣病に関する医学的検査は、精密視野検査、精密眼底検査、精密聴力検査は原則として全例について行い、水銀量測定、毛髪、血液、尿、筋電図検査、バイオプシー検査は必要に応じて行う旨定められており、また、四六年次官通知に関して出された環境庁の通知においても、水俣病と類似疾患の鑑別について、「糖尿病などによる末梢神経障害、動脈硬化症、頸部脊椎症による脊髄末梢神経障害、心因性症状などを除外するため、必要に応じて、頸部X線検査、脳波、検尿、検血、肝機能検査、腎機能検査、髄液検査、CRPなどの諸検査を行う。」旨定められていたのであるし、前記のとおり、昭和四八年ころには、水俣病の症状としては非典型的症状を示すものが多く、他疾患との鑑別も困難となっていたのであるから、前記検査は、水俣病り患の有無を判断するために必要であったといえるし、申請者によっては結果的に不要な検査項目がありうるとしても、申請者ごとに必要な検査とそうでないものを分別して検査を行うのは実際的ではないから、この点に関する被控訴人らの主張も採用できない。
(5) 審査会構成員の改善について
熊本県の審査会では委員は一〇人であり、すべて医師である(三2(四)(1))ところ、被控訴人らは、審査会委員として法律家や公衆衛生の専門家を加えるべきであったと主張する。
確かに、救済法の下では、審査会委員は、医学に関し学識経験を有する者一〇人以内で組織される(同法二〇条二項、三項)とされていたのに対し、補償法の下では、審査会委員は一五人以内と増員され、かつ、医学、法律学その他公害に係る健康被害の補償に関し学識経験を有する者から任命する(同法四五条一項、二項)とされているから、救済法の下では、熊本県の審査会委員一〇人が医師であることは同法に従ったものであるから問題はないものの、補償法の下では、一見すれば問題があるとみられないことはない。
しかし、証拠(乙二二六号証の三)によれば、補償法がこのように審査会委員を増員し、医学に関し学識経験を有する者以外の者も委員とするよう定めたのは、補償法が新たに被認定者の障害の程度に応じた障害補償費等を支給する制度を設けたため、救済法の下での審査会委員が指定疾病にかかっているかどうか、その指定疾病がその地域の環境汚染によるものかどうかを判断するものであったのに対し、補償法の下での審査会委員は、これに加えて障害の程度の判定等を行うこととなることから、この方面に詳しい専門家や法律の専門家等を委員に加える必要があったためであることが認められるところ、証拠(甲一〇号証の一四、弁論の全趣旨)によれば、熊本県における水俣病の場合は、認定処分を受けた者は、チッソとの補償協定(三5(三))に基づき、チッソに対して直接補償を請求しており、補償法に基づく補償給付等の請求は皆無といってよいことが認められ、熊本県においては、審査会が障害の程度の判定等を行うことはないといえる上、水俣病のり患の有無は医学的判断を抜きにしては判断できない事柄であるから、医学に関し学識経験を有する者以外の者を委員としたからといって、これにより審査会の審査が促進されるとする必然性もないのである。
そうすると、熊本県における審査会が委員を一〇人とし、その全員が医師から任命されていることをもって、知事が改善すべき事項であったとする被控訴人らの主張も、採用できないというほかはない。
(6) 審査会の書面審査の改善について
前記三2(四)(2)のとおり、審査会の審査はいわば書面審査であるといえるが、被控訴人らは、書面審査では答申保留につながる場合があるから改善の余地がある旨指摘する。
そして、証拠(甲一九号証の一ないし六、二六号証の一、二、一六八、一六九号証)によれば、熊本県と同じく水俣病が救済法及び補償法の指定疾病とされている新潟県及び新潟市の各公害健康被害認定審査会では、検診医作成のカルテそのものが審査会に提出され、審議の際には検診医が出席して説明し、意見を述べ、委員からの質問に応じていること、同審査会では、一か月以内に再検査して答申するという場合はあるが、死亡者を除いて答申保留とする措置はとられていないことが認められるから、このような審査方法をとることも一つの選択肢とはいえる。
しかし、審査会の審査方法をどのような方法にすべきか(書面審査とすべきか否か)は、それぞれの審査会において決定すべき事柄であり、それが審査会の設置趣旨に反するといえるような場合を除き、知事がこれに干渉することはできないものであるところ、前記認定した熊本県における申請件数、審査件数、審査会委員や検診医の多忙な状況等(三3、三5(一)、(二)、(四)、三6(六)、(八)、三7(二)(3)、(四))からすれば、熊本県において、新潟県及び新潟市と異なり、審査会が書面審査の方法をとったことは審査会の合理的な裁量の範囲内の事柄であるといえないわけではなく、書面審査の方法によったこと(検診医と審査会委員を明確に分けたことを含む)が審査会の設置趣旨に反するとは到底いえない。
(7) 審査会の議決方法の改善について
審査会条例では、審査会の議決は多数決によるとされているが、熊本県の審査会では、答申保留の場合も含め、最終的には全員一致で結論を出していることは前記三2(四)(2)、(3)のとおりである。
しかし、審査会の審査において、十分議論が尽くされ、それによって委員の意見が一致することはむしろ望ましいことであるから、条例上審査会の議決が多数決によるとされているからといって、多数決によらなければ違法であるとすることにはならないし、前記のような審査会の議決方法が審査会の設置趣旨に反するものとは到底いえない。
被控訴人らが多数決で議決すべきであるとするのは、つまるところ、審査会のとった答申保留の措置が不当であるとすることに帰するが、答申保留の措置についての当裁判所の判断は前記(三)のとおりであり、答申保留の措置をとられた申請者各人について、その適否を個別に判断すべきものである。
(8) 知事独自の判断の必要性について
被控訴人らは、審査会が答申保留という違法な運用をし、被害実態を無視、軽視した運営をしていたから、知事は独自の権限で認定処分をすべきであったと主張する。
しかし、審査会が、水俣病のり患の有無について知事に答申するという諮問機関である以上、知事は答申を慎重に検討し、これに十分な考慮を払い、特段の合理的な理由がない限り、これに反する処分をしないことが求められるのであり、これにより知事の処分の客観的な適正妥当と公正が担保されるものと解すべきであるから、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、審査会の答申がないままに知事が独自に処分をすることは許されないものと解するのが相当である。
そして、前記三2(四)及び四2(三)で認定したところによれば、審査会が、その設置趣旨に反して、被害実態を無視ないし軽視した運営をしていたとはいえないし、他に、そのような運営がなされていたとの事実を認めるに足りる的確な証拠もない(被控訴人らが主張するところは、要するに被控訴人らについては早期に認定処分すべきであったとすることに帰するが、それらは被控訴人らの個別の事情を踏まえて検討すべき事柄である。)。
(9) なお、本件上告審判決が説示するとおり、不作為判決は、不作為の違法確認訴訟の口頭弁論終結時点において、知事が処分すべき行政手続上の作為義務に違反していることを確認するものであり、これが直ちに認定申請者の内心の静穏な感情を害されないという私的利益に向けた作為義務を認定し、その利益侵害という意味での不作為の違法性を確認するものではないから、被控訴人ら主張のように不作為判決に関係行政庁に対する拘束力があるからといって、不作為判決原告らについての同判決の存在が右の私的利益に対する知事の条理上の作為義務違反についての要件の充足性に直結するものではない。
したがって、答申保留の措置をとられた不作為判決原告らについても、前記(三)に述べた観点から個別にその適否を判断すべきものである。
3 総合的判断
以上1及び2でみたところを総合すれば、答申保留の措置がとられた者についての個別の対応の点を除き、知事は、全体的にみて、当時の具体的状況の下では、処分庁として、処分の遅延を回避するために知事に通常期待される努力を尽くしたものと解するのが相当であるが、もとより、知事が被控訴人ら各人との関係でそのような努力を尽くしたといえるか否かは、被控訴人ら各人の個別事情を踏まえて個別に検討する必要があるし、被控訴人らの中には答申保留の措置をとられた者もあり、その者については答申保留の措置の適否及びこれに対する知事の対応を更に検討する必要があるから、以下、項を改めてこれらを検討する。
五 要件③の充足性に関する個別的判断
1 被控訴人らについての認定事務処理の経緯
第二の二の事実に左記の証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば、被控訴人らの各認定申請についての知事の認定事務処理の経緯は、別紙二「被控訴人らの個別事情についての控訴人らの主張」中、各被控訴人についての「1 審査会における審査及び処分の経緯」欄又は「1 審査会における審査の経緯」欄記載のとおりである(ただし、「答申保留後の事情」欄を除く。)ことが認められる。
(認定に供した証拠―乙九二号証の一ないし一六、九三号証の一ないし一〇、九四号証の一ないし一〇、九五号証の一ないし一一、九六号証の一ないし一一、九七号証の一ないし一〇、九八号証の一ないし八、九九号証の一ないし九、一〇〇号証の一ないし九、一〇一号証の一ないし一〇、一〇二号証の一ないし一〇、一〇三号証の一ないし一〇、一〇四号証の一ないし一〇、一〇五号証の一ないし九、一〇六号証の一ないし一〇、一〇七号証の一ないし七、一〇八号証の一ないし六、一〇九号証の一ないし六、一一〇号証の一ないし六、一一一号証の一ないし七、一一二号証の一ないし八、一一三号証の一ないし七、一一四号証の一ないし七、一一五号証の一ないし六、一五九号証、一六一号証、第一審証人野村瞭)
2 要件③の充足性についての個別的判断
(一) 被控訴人仲村妙子
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
同被控訴人は五回にわたり答申保留とされているのであるが、まず、同被控訴人が昭和四七年一二月に認定申請しながら、昭和四九年二月の審査会に初めて審査されたことについては、同被控訴人の疫学調査が未了であったためであるし、この間申請者数が急増し、未処分件数の累計も急増していたことからすると、最初の審査までに一年余を要したこともやむをえないものといえる。その後は、協議会等の反対行動により、同年九月から昭和五一年三月まで検診業務の大部分が、昭和四九年一一月から昭和五〇年三月まで審査業務が、それぞれ停止し、再開時には大量の未検診数、未審査数を抱えており、容易にこれを解消する術もなかったのであるから、同被控訴人に対する二回目の審査が昭和五〇年八月になったのもまたやむをえないところである。その後の審査は、昭和五一年七月、昭和五二年一〇月、昭和五三年一二月、昭和五四年五月と行われているが、この間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の五回にわたる答申保留の理由は、当初から四回目までが要観察(一定期間おいて検討)であり、五回目が要再検(資料不足)である(乙九二号証の五により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、いずれの段階(不作為判決確定後を含む。)でも水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、それぞれ一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診等が行われ、問題とされる症状の正確な把握に努めていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和四九年二月(最初の答申保留時期)から昭和五四年五月(認定相当の答申をした時期)までの約五年三月に及んだとしても、限界的な事例とはいえ、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとまですることはできない。
(3) 被控訴人らは、同被控訴人の疫学的事実、症状等からして、早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであることは前記四2(四)(8)のとおりであり、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(一)(1)、(2)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
なお、差戻し後の当審証人原田正純は、被控訴人らについて早期に水俣病であるとの答申をすることが可能であった旨証言するが、これは同証人の医学的見解を前提とするものである上、同証言によっても、水俣病にり患しているか否かの判断について他の委員と意見が一致しない場合がままあったことが認められるし、審査会における審査内容に関する第一審証人野村瞭の証言に照らし、にわかに採用できない。
(4) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係では、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(二) 被控訴人長濱實義について
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四八年六月から最初の検診を受けた昭和四九年八月までの間は、申請者が急増し、未処分件数の累計も急増していたが、水俣湾周辺地区住民健康調査や有明海及び八代海沿岸住民健康調査等のため検診に従事する専門医の確保、増員が困難であったことからすれば、最初の検診までに一年余を要したこともやむをえないといえる。その後は、協議会等の反対行動により、同年九月から昭和五一年三月まで検診業務の大部分が、昭和四九年一一月から昭和五〇年三月まで審査業務が、それぞれ停止し、再開時には大量の未検診数、未審査数を抱えており、容易にこれを解消する術もなかったのであるから、同被控訴人に対する最初の審査が昭和五一年一〇月になったのもまたやむをえないといえる。同被控訴人は最初の審査で答申保留となり、昭和五三年二月の審査でも答申保留となった上、昭和五四年七月の審査で認定相当の答申がされてその旨の処分を受けているが、この間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の二回の答申保留の理由は、いずれも要観察(一定期間おいて検討)である(乙九三号証の五により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、いずれの段階(不作為判決確定後を含む。)でも水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、それぞれ一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診等が行われ、問題とされる症状の正確な把握に努めていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五一年一〇月(最初の答申保留時期)から昭和五四年七月(認定相当の答申をした時期)までの約二年九月に及んだとしても、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとまですることはできない。
(3) 被控訴人らは、同被控訴人の疫学的事実、症状等からして、早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(二)(1)、(2)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(4) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(三) 被控訴人西川末松
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四八年六月から最初の検診を受けた昭和四九年八月までの間に一年余を要したこと、同被控訴人に対する最初の審査が昭和五〇年九月となったこと及び同被控訴人に対する二回目の検診が昭和五一年七月になったことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情からやむをえないところである。被控訴人西川末松は、最初の審査及び昭和五一年一〇月、昭和五三年六月の審査でそれぞれ答申保留となり、必要な検診の指示を受けたけれども、昭和五五年九月以降検診を拒否していることは前記三7(五)(1)のとおりであるが、同被控訴人の検診拒否までの間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、同被控訴人の検診拒否までの間は、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の二回の答申保留の理由は、いずれも要観察(一定期間おいて検討)である(乙第一五九号証により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、いずれの段階でも水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、それぞれ一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診等が行われ、問題とされる症状の正確な把握に努めていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五〇年九月(最初の答申保留時期)から昭和五五年九月(同被控訴人が検診を拒否し始めた時期)までの約五年に及んだとしても、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとまですることはできない。
(3) そして、同被控訴人が検診を拒否した昭和五五年九月以降は、その時点の資料によっては同被控訴人が水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったのであるから、同被控訴人について審査会が答申することはできないものであるし、ひいては知事が処分することもできないものであったというほかなく、この間知事の処分が遅延したとしても、同被控訴人が検診を拒否している以上、やむをえないものというべきである。
(4) 被控訴人らは、同被控訴人の疫学的事実、症状等からして、早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(三)(1)ないし(3)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(5) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(四) 被控訴人松﨑重光
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四八年六月から最初の検診を受けた昭和四九年八月までの間に一年余を要したこと、右の検診が昭和五一年九月までに及んだことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情からやむをえないところである。被控訴人松﨑重光は、昭和五一年一〇月の最初の審査で答申保留となり、昭和五四年二月の審査で棄却相当の答申がされてその旨の処分を受けたが、この間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことや、審査会が再開された最初の審査当時には、一回の審査では棄却の答申をしない旨申し合わせていたこと(三6(六))からすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙九四号証の五により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五一年一〇月(最初の答申保留時期)から昭和五四年二月(棄却相当の答申を受けた時期)までの約二年四月に及んだとしても、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) 被控訴人らは、同被控訴人についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(四)(1)、(2)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(4) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(五) 被控訴人坂本吉髙
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四八年六月から最初の審査を受けた昭和五〇年九月までの間に二年余を要したことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情からやむをえないところである。被控訴人坂本吉髙は、最初の審査及び昭和五二年一月の各審査で答申保留となり、昭和五四年四月の審査で認定相当の答申を受けたが、この間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、いずれも要観察(一定期間おいて検討)である(乙九五号証の五により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、いずれの段階(不作為判決確定後を含む。)でも水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診が行われ、問題とされる症状の正確な把握に努めていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五〇年九月(最初の答申保留時期)から昭和五四年四月(認定相当の答申を受けた時期)までの約三年七月に及んだとしても、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) 被控訴人らは、同被控訴人の疫学的事実、症状等からみて、早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(五)(1)、(2)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(4) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(六) 被控訴人柳野正則
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四八年六月から最初の検診を受けた昭和四九年一〇月までの間に一年余を要したこと、右の検診が昭和五〇年一一月までに及んだことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情からやむをえないところである。被控訴人柳野正則は、最初の昭和五二年三月の審査で答申保留となり、昭和五四年八月の審査で棄却相当の答申がされてその旨の処分を受けたが、この間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことや、審査会が再開された最初の審査当時には、一回の審査では棄却の答申をしない旨申し合わせていたこと(三6(六))からすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙九六号証の五により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五二年三月(最初の答申保留時期)から昭和五四年八月(棄却相当の答申を受けた時期)までの約二年五月に及んだからといって、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) 被控訴人らは、同被控訴人についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(六)(1)、(2)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(4) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(七) 被控訴人久木田松太郎
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四八年六月から最初の検診を受けた昭和四九年一〇月までの間に一年余を要したこと、右の検診が昭和五二年五月までに及んだことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情からやむをえないところである。被控訴人久木田松太郎は、最初の同年六月の審査で答申保留となり、昭和五五年一月の審査で棄却相当の答申がされてその旨の処分を受けたが、この間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことや、審査会が再開された最初の審査当時には、一回の審査では棄却の答申をしない旨申し合わせていたこと(三6(六))からすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙九七号証の五により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五二年六月(答申保留時期)から昭和五五年一月(棄却相当の答申を受けた時期)までの約二年七月に及んだからといって、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) 被控訴人らは、同被控訴人についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(七)(1)、(2)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(4) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(八) 被控訴人福山ツルエ
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四八年七月から最初の検診を受けた昭和四九年一二月までの間に一年余を要したこと、右の検診が昭和五二年九月までに及んだことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情からやむをえないところである。被控訴人福山ツルエは、最初の同年一一月の審査で答申保留となり、昭和五五年五月の審査で棄却相当の答申がされ、同年六月その旨の処分を受けたが、この間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことや、審査会が再開された最初の審査当時には、一回の審査では棄却の答申をしない旨申し合わせていたこと(三6(六))からすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙一〇一号証の五により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五二年一一月(答申保留時期)から昭和五五年五月(棄却相当の答申を受けた時期)までの約二年六月に及んだからといって、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) 被控訴人らは、同被控訴人についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(八)(1)、(2)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(4) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(九) 被控訴人福山貞行
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四八年七月から最初の検診を受けた昭和四九年一二月までの間に一年余を要したこと、右の検診が昭和五二年九月までに及んだことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情からやむをえないところである。被控訴人福山貞行は、最初の同年一一月の審査で答申保留となり、昭和五五年五月の審査で棄却相当の答申がされ、同年六月その旨の処分を受けたが、この間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことや、審査会が再開された最初の審査当時には、一回の審査では棄却の答申をしない旨申し合わせていたこと(三6(六))からすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙一〇二号証の五により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五二年一一月(答申保留時期)から昭和五五年五月(棄却相当の答申を受けた時期)までの約二年六月に及んだからといって、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) 被控訴人らは、同被控訴人についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(九)(1)、(2)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(4) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(一〇) 被控訴人田上始
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四八年七月から最初の検診を受けた昭和四九年一二月までの間に一年余を要したこと、右の検診が昭和五二年一〇月までに及んだことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情からやむをえないところである。被控訴人田上始は、最初の同年一二月の審査で答申保留となり、昭和五五年八月の審査で棄却相当の答申がされ、同年九月その旨の処分を受けたが、この間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙一〇四号証の五により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五二年一二月(答申保留時期)から昭和五五年八月(棄却相当の答申を受けた時期)までの約二年八月に及んだからといって、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) 被控訴人らは、同被控訴人についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(一〇)(1)、(2)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(4) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(一一) 被控訴人川﨑巳代次
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四八年七月から最初の検診を受けた昭和五〇年二月までの間に一年余を要したこと、右の検診が昭和五二年一〇月までに及んだことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情からやむをえないところである。被控訴人川﨑巳代次は、最初の昭和五三年一月と昭和五五年一〇月の各審査で答申保留となり、検診の指示を受けたけれども、昭和五六年一月以降検診を受けないままである(三7(五)(2))が、この間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、最初が要観察(一定期間おいて検討)、二回目が要再検(資料不足)である(乙一五九号証により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、いずれの段階でも水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診が行われ、問題とされる症状の正確な把握に努めていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五三年一月(最初の答申保留時期)から昭和五六年一月(同被控訴人が検診を受けなくなった時期)までの約三年に及んだからといって、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) そして、同被控訴人が検診を受けなくなった昭和五六年一月以降は、その時点の資料によっては同被控訴人が水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったのであるから、同被控訴人について審査会が答申することはできないものであるし、ひいては知事が処分することもできないものであったというほかなく、この間知事の処分が遅延したとしても、同被控訴人が検診を受けない以上、やむをえないものというべきである。
(4) 被控訴人らは、同被控訴人についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(一一)(1)ないし(3)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(5) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(一二) 被控訴人宮本巧
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四八年九月から最初の検診を受けた昭和五〇年四月までの間に一年余を要したこと、右の検診が昭和五三年二月まで及んだことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情からやむをえないところである。被控訴人宮本巧は、最初の昭和五四年三月の審査で答申保留となり、必要な検診の指示を受けたが、昭和五六年七月以降検診を受けないままでいることは前記三7(五)(3)のとおりであるが、それまでの間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、同被控訴人が検診を受けなくなるまでの間は、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙第一五九号証により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五四年三月(答申保留時期)から昭和五六年七月(同被控訴人が検診を受けなくなった時期)までの約二年四月に及んだからといって、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) そして、同被控訴人が検診を受けなくなった昭和五六年七月以降は、その時点の資料によっては同被控訴人が水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったのであるから、同被控訴人について審査会が答申することはできないものであるし、ひいては知事が処分することもできないものであったというほかなく、この間知事の処分が遅延したとしても、同被控訴人が検診を受けない以上、やむをえないものというべきである。
(4) 被控訴人らは、同被控訴人についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(一二)ないし(3)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(5) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(一三) 被控訴人白倉幸男
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四九年五月から最初の検診を受けた昭和五三年五月ないし七月までの間に四年余を要したことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情及びこの間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが種々努力していたことからすれば、やむをえないところである。被控訴人白倉幸男は、最初の昭和五三年九月の審査で答申保留となり、必要な検診の指示を受けたが、昭和五六年六月の検診を受けないままでいることは前記三7(五)(4)のとおりであるが、それまでの間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、同被控訴人が検診を受けなくなるまでの間は、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙第一五九号証により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五三年九月(答申保留時期)から昭和五六年六月(同被控訴人が検診を受けなくなった時期)までの約一年九月に及んだからといって、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) そして、同被控訴人が検診を受けなくなった昭和五六年六月以降は、その時点の資料によっては同被控訴人が水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったのであるから、同被控訴人について審査会が答申することはできないものであるし、ひいては知事が処分することもできないものであったというほかなく、この間知事の処分が遅延したとしても、同被控訴人が検診を受けない以上、やむをえないものというべきである。
(4) 被控訴人らは、その疫学的事実、症状等から、同被控訴人について早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(一三)(1)ないし(3)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(5) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(一四) 被控訴人緒方正人
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、同被控訴人が認定申請をした昭和四九年八月から最初の検診を受けた昭和五〇年九月までの間に一年余を要したこと、右の検診が昭和五三年七月までに及んだことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情及びこの間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、やむをえないところである。被控訴人緒方正人は、最初の昭和五三年九月の審査で答申保留となり、必要な検診の指示を受けたが、昭和五六年三月以降検診を拒否していることは前記三7(五)(5)のとおりであるが、それまでの間も、控訴人らが種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、同被控訴人が検診を拒否するまでの間は、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙第一五九号証により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五四年一月(答申保留時期)から昭和五六年三月(同被控訴人が検診を拒否し始めた時期)までの約二年二月に及んだからといって、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) そして、同被控訴人が検診を拒否し始めた昭和五六年三月以降は、その時点の資料によっては同被控訴人が水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったのであるから、同被控訴人について審査会が答申することはできないものであるし、ひいては知事が処分することもできないものであったというほかなく、この間知事の処分が遅延したとしても、同被控訴人が検診を受けない以上、やむをえないものというべきである。
(4) 被控訴人らは、その疫学的事実、症状等から、同被控訴人について早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(一四)(1)ないし(3)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(5) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(一五) 被控訴人川野留一
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
同被控訴人が認定申請をした昭和四九年八月から最初の検診を受けた昭和五〇年九月までの間に一年余を要しており、右の検診が昭和五三年四月までに及んだ上、審査会の審査がようやく昭和五四年一月に行われて棄却の答申がされているのであるが、これらについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情やこの間、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、やむをえないところであり、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) 被控訴人らは、被控訴人川野留一についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(一五)(1)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(3) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(一六) 被控訴人森山忠
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
同被控訴人は、認定申請をしたのが昭和四九年九月であるにもかかわらず、最初の検診を受けたのが昭和五三年一月ないし九月であり、この間三年以上を要しているのであるが、これについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情やこの間、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、やむをえないところである。被控訴人森山忠は、最初の昭和五四年二月の審査で答申保留となり、必要な検診の指示を受けたが、昭和五六年六月以降検診を受けなかったことは前記三7(五)(6)のとおりであるが、それまでの間も、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、同被控訴人が検診を拒否するまでの間は、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙第一五九号証により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五四年二月(答申保留時期)から昭和五六年六月(同被控訴人が検診を受けなくなった時期)までの約二年四月に及んだからといって、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) そして、同被控訴人が検診を受けなくなった昭和五六年六月以降は、その時点の資料によっては同被控訴人が水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったのであるから、同被控訴人について審査会が答申することはできないものであるし、ひいては知事が処分することもできないものであったというほかなく、この間知事の処分が遅延したとしても、同被控訴人が検診を受けない以上、やむをえないものというべきである。
(4) 被控訴人らは、その疫学的事実、症状等から、同被控訴人について早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(一六)(1)ないし(3)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(5) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(一七) 被控訴人坂本輝喜
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
同被控訴人は、昭和五〇年一月に認定申請しながら最初の検診が行われた昭和五三年六月まで三年余を要し、さらに審査会による審査はようやく昭和五四年七月に行われて同年八月に棄却処分を受けているのであるが、これらについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情及びこの間、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、やむをえないところであり、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) 控訴人らは、被控訴人坂本輝喜についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(一七)(1)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(3) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(一八) 被控訴人岩内次助
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
同被控訴人は、昭和五〇年一二月に認定申請しながら新たな最初の検診が行われた昭和五三年八月まで三年近くを要し、さらに審査会による審査はようやく昭和五五年四月に行われて認定処分を受けているのであるが、これらについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情及びこの間、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、やむをえないところであり、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) 被控訴人らは、被控訴人岩内次助についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(一八)(1)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(3) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(一九) 被控訴人川本ミヤ子
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
同被控訴人は、昭和五一年三月に認定申請しながら最初の検診が行われた昭和五三年九月まで二年余を要し、さらに審査会による審査はようやく昭和五五年一月に行われて棄却処分を受けているのであるが、これらについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情及びこの間、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、やむをえないところであり、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) 被控訴人らは、被控訴人川本ミヤ子についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2信(一九)(1)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(3) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(二〇) 被控訴人荒木俊二
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
同被控訴人は、昭和五二年一月に認定申請しながら最初の検診が行われた昭和五四年四月ないし九月まで二年余を要し、さらに審査会による審査はようやく同年一二月に行われているのであるが、これらについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情及びこの間、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、やむをえないところである。被控訴人荒木俊二は、昭和五四年一二月の審査で再検診を行うこととして答申保留となり、同被控訴人の慰謝料請求終期である昭和五七年八月までの間に検診は行われなかったが、この間も、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが種々努力していたことや、同被控訴人が同和五五年九月に検診拒否運動を始めた協議会に同調している者であることからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙一五九号証により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであり、同被控訴人が検診拒否運動の同調者であることをも考慮に入れると、同被控訴人の答申保留期間が昭和五四年一二月(答申保留時期)から昭和五七年八月(同被控訴人の請求の終期)までの約二年八月に及んだからといって、これをもって直ちに審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求めるべき例外的な場合であったとすることはできない。
(3) 被控訴人らは、同被控訴人についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(二〇)(1)、(2)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(4) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(二一) 被控訴人楠本直
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
同被控訴人は、昭和五二年五月に認定申請しながら最初の検診が行われた昭和五四年三月まで二年近くを要し、さらに審査会による審査はようやく昭和五五年八月に行われて同年九月に棄却処分を受けているのであるが、これらについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情及びこの間、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、やむをえないところであり、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) 被控訴人らは、被控訴人楠本直についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(二一)(1)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(3) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(二二) 被控訴人髙木正行
(1) 右の1の認定及び前記四1により検討する。
同被控訴人は、昭和五一年三月に認定申請しながら最初の検診が行われた昭和五二年一二月まで二年近くを要し、さらに審査会による審査はようやく昭和五四年四月に行われているのであるが、これらについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情及びこの間、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、やむをえないところである。被控訴人髙木正行は、最初の昭和五四年四月の審査で答申保留となり、必要な検診の指示を受けたが、同被控訴人の慰謝料請求の終期である昭和五七年八月までの間に検診を受けなかったものの、それまでの間も、控訴人らが種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、同被控訴人が検診を受けなくなるまでの間は、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙第一五九号証により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであり、同被控訴人が検診拒否運動の同調者であることをも考慮に入れると、同被控訴人の答申保留期間が昭和五四年四月(答申保留時期)から昭和五七年八月(同被控訴人の慰謝料請求の終期)までの約三年四月に及んだからといって、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) そして、同被控訴人が答申を保留された昭和五六年一〇月以降は、その時点の資料によっては同被控訴人が水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったのであるから、同被控訴人について審査会が答申することはできないものであるし、ひいては知事が処分することもできないものであったというほかなく、この間知事の処分が遅延したとしても、同被控訴人が検診を受けない以上、やむをえないものというべきである。
(4) 被控訴人らは、同被控訴人についても早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(二二)(1)ないし(3)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(5) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(二三) 被控訴人野崎幸満
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
まず、昭和四八年六月の認定申請から昭和四九年七月の検診までの間に一年余を要したこと、その後ようやく昭和五一年二月になって最初の審査が行われたことについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情からすると、やむをえないところである。被控訴人野崎幸満は、昭和五一年二月の最初の審査で答申保留となった後、同年八月、同年一一月、昭和五二年一〇月の各審査でいずれも答申保留となり、昭和五七年八月の審査で認定相当の答申をされ同年九月その旨の処分を受けたが、この間、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、最初が要観察(一定期間おいて検討)、二回目が要再検(資料不足)、三回目が要観察(一定期間おいて検討)、四回目が一括検討である(乙一五九号証により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、いずれの段階でも水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえる(同被控訴人は小児水俣病であるか否かが問題となったものであり、三1(七)及び三7(三)のとおり、小児水俣病はとりわけその判定は困難であった上、水俣病認定検討会において昭和五二年二月から小児水俣病に関する検討が進められた結果、環境庁より昭和五六年七月にその判断条件が示されたものである。)から、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診が行われ、問題とされる症状の正確な把握に努めていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五一年二月(最初の答申保留時期)から昭和五七年八月(同被控訴人が認定答申を受けた時期)までの約六年六月に及んだからといって、限界的な事例であるとはいえ、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとまですることはできない。
(3) 被控訴人らは、その疫学的事実、症状等からして、同被控訴人について早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたるとまではいえないことは、右1及び2(二三)(1)、(2)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(4) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
(二四) 被控訴人大矢繁義
(1) 右1の認定及び前記四1により検討する。
同被控訴人は、昭和四九年四月に認定申請しながら最初の検診が行われた昭和五三年一月まで四年近くを要し、審査会による審査は同年四月に行われているのであるが、これらについては、被控訴人長濱實義について検討したところと同様の事情及びこの間、検診、審査業務ひいては処分の遅延を解消するために、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、やむをえないところである。被控訴人大矢繁義は、昭和五三年四月の審査で答申保留となり、必要な検診の指示を受けたが、昭和五五年七月以降検診を受けなかったことは前記三7(五)(9)のとおりであるが、それまでの間も、控訴人らが前認定のように種々努力していたことからすると、答申保留の措置に対する知事の対応に非難すべき点がない限り、同被控訴人が検診を受けなくなるまでの間は、知事は、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたと認めるのが相当である。
(2) ところで、審査会の答申保留の理由は、要観察(一定期間おいて検討)である(乙一五九号証により認める。)が、答申保留とした経緯については、右1のとおり、その段階では水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったといえるから、一定の合理的理由があるということができる。そして、答申保留とされた後にも、同被控訴人に対して必要な検診指示が行われていることは右1のとおりであるから、同被控訴人の答申保留期間が昭和五三年四月(最初の答申保留期間)から昭和五五年七月(同被控訴人が検診を受けなくなった時期)までの約二年三月に及んだからといって、これをもって審査会のした答申保留の措置が審査会の設置趣旨に反し、知事がその是正を求める場合であったとすることはできない。
(3) そして、同被控訴人が検診を受けなくなった昭和五五年七月以降は、その時点の資料によっては同被控訴人が水俣病にり患しているか否かの判断が困難であったのであるから、同被控訴人について審査会が答申することはできないものであるし、ひいては知事が処分することもできないものであったというほかなく、この間知事の処分が遅延したとしても、同被控訴人が検診を受けない以上、やむをえないものというべきである。
(4) 被控訴人らは、その疫学的事実、症状等から、同被控訴人について早期に水俣病と認定されるべきであったとするが、審査会の審査がその設置趣旨に反して行われているような例外的な場合は格別、知事は審査会の答申を受けた上で処分すべきであるところ、同被控訴人に対する審査が右の例外的な場合にあたらないことは、右1及び2(二四)(1)ないし(3)のとおりであるから、被控訴人らの主張は採用できない。
(5) 以上によれば、知事は、同被控訴人について、処分庁として処分の遅延を回避するために通常期待される努力を尽くしたというべきであり、同被控訴人に対する関係でも、要件③を充足しているとはいえないから、知事に条理上の作為義務違反があるとすることはできない。
第六 結論
以上の認定判断によれば、本件において、被控訴人らがした水俣病認定申請に対する応答(不処分の状態を含む)が長期間に及んだことにつき、知事に被控訴人らの内心の静穏な感情を害する結果を回避すべき条理上の作為義務違反があったとすることはできないから、被控訴人らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないというほかはない。
よって、これと結論を異にし、被控訴人らの請求を一部認容した第一審判決は不当であるから、第一審判決中の控訴人ら敗訴の部分を取り消した上、被控訴人らの請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官友納治夫 裁判官有吉一郎 裁判官山口幸雄)
別紙請求金額一覧表<省略>
別紙一〜二<省略>
別紙別添(一)〜(五)<省略>